寒々しい風が吹き、雪がチラついている。どんよりとした曇り空のもと、小太郎はスーパーからの買い物帰りで家路に着こうと歩いていた。
ナマエと付き合ってから二年が経った今、小太郎の背はあの頃より伸び、顔はより精悍になった。時折吹く風に、結ばなくなった長い髪が揺れる。
「……ヅラ」
向かいからやってきた銀時に声をかけられた。銀時も桂と同じくらいに背が伸び、身体は筋肉がついてがっしりしている。
「スーパーからの帰りか?」
「ああ、今日の夕餉の材料だ」
「ナマエに作ってもらうのか?」
「いや、自分で作る」
「……相変わらず堅ェ野郎だな」
ナマエと暮らしときゃよかったのに、と銀時は言う。この二年のうちに、ナマエの両親は病で亡くなっていた。
「お前、ナマエに言ったのか?」
何のことか、小太郎はわかっていた。
恩師である吉田松陽が幕府に捕らえられたのは昨日のことで、小太郎は銀時たちと戦争に出る準備を進め、明日にはここを発つと決めている。
「……いや、言っていない。ナマエに余計な心配をかけたくない」
そう答えると、銀時は大きなため息をついた。
「そりゃあクソ真面目というか、ただのバカっつーか……まあ、俺がどうこう言う話じゃねーが、正直に話して、離れる前に思いっきりイチャイチャすりゃいーじゃねェか。てかお前、ナマエと○○○(ピー)までいったの?」
「はああああ!? この期に及んで何を破廉恥なことを!!」
「いやお前童貞くせーしさあ、普通女知ったら雰囲気変わるだろ」
「誰が童貞だ!! ナマエとは○○○(ピー)どころか○○○○○(ピー)とか○○○○○○○○(ピー)までしている仲だ!!」
「えっ、お前ら初心そうに見えてそんなえげつないことやってたの!?」
ショックだわ、ナマエを直視できなくなったわ、と銀時は嘆いている。
勝手に直視できなくなればいい、と小太郎は思う。ナマエは二年の時を経てより女性らしく、美しくなった。ナマエにたかる男たちを、小太郎は影で成敗していた。
ナマエは少し前から団子屋で働き始め、人気を集めていた。そうなることを予想していた小太郎は反対した。小太郎はNTRが好きだが寝盗り側がいいのであって、寝盗られる側にはなりたくない。しかしナマエは折れなかった。両親からの遺産は限られているし、元々菓子が好きだから勉強したいのだと言った。
「……でもやっぱ、話した方が後悔しねーと思うがな」
銀時はそう言い残し、じゃあなと去っていった。
――後悔しない、か。
松陽のために戦場へ行くことへの不安や恐怖がない訳ではない。そこは死と隣り合わせだ。小太郎はそれなりに強くなったと思っているが、何が起こるかわからず、死なないとは言いきれない。
――……ナマエに言っておくか。
銀時の言葉を思い出しながら、小太郎はナマエの家の戸を開けた。
「ナマエ、いるか?」
「小太郎!」といそいそとナマエが出てくる。たすき掛けをしていることから、何か作っていたのだとわかった。
「……なんだか甘い匂いがするな」
「餡を炊いたの。小太郎に食べて欲しいから、上がって」
甘いものは好みではなかったが、ナマエの作ったものなら別だ。玄関をあがり、居間に入る。ナマエは台所からおはぎとお茶を持ってきた。
「美味しいとは思うけど……」
「いただきます」と小太郎は手を合わせ、それから箸を取りおはぎを一口食べた。甘い。甘いが甘ったるさはなく、後味はさっぱりしている。
「……美味いな」
「ほんと? よかった!」
ナマエは嬉しそうに笑った。
「……いつか団子屋を辞めて、自分で和菓子屋をやろうと思ってるの」
初めて聞く話だった。小太郎は驚きながらも言った。
「いいじゃないか! この味なら絶対に繁盛する」
「ありがとう……そう言ってもらえると、嬉しい」
はにかむナマエが可愛らしい。小太郎はおはぎをすべて味わって食べ、最後にお茶を飲んだ。
「ご馳走様。本当に美味かった」
「ふふ、お粗末様でした……ごめんね、夕食の前に甘いもの食べさせちゃって。これ、その材料でしょ?」
ナマエがそばに置かれたスーパーの袋を指す。
「いや、大丈夫だ。まだ腹は減っている……それより、ナマエに話がある」
小太郎は彼女に体を向け、胡座を組み直した。ナマエは何時にもなく真剣な空気を悟ったのか、ぴんと姿勢を正した。
小太郎はすべてを話した。恩師が危険人物と見なされ幕府に捕縛されたこと、銀時たちと松陽を取り戻すべく戦地へ明日向かうこと。
「――先生を取り戻せるかはわからない。ただ、黙っていることはできん……ナマエとは、しばらく離れることになる」
「…………」
ナマエは俯いていたが、やがて決意したように顔を上げた。
「……それが小太郎の選択なら、私は尊重する。ただ……死なないで、ほしい。生きて帰って、それからこのおはぎをまた食べて欲しい」
「ナマエ……」
小太郎は彼女を抱きしめた。首元に顔を埋めると、やさしい、花のような匂いがする。ナマエのこの匂いどころか、こうして抱きしめることも、顔を見ることもしばらくできなくなってしまうのか。そう思うと寂しく、小太郎は彼女の頬に触れた。察したように目を閉じるナマエの唇に、キスをする。唇を離したあと、小太郎は彼女の頬を撫でながら言った。
「……今日は、泊まってもいいか?」
無言で頷いたナマエを、強く抱きしめる。今夜はナマエのすべてを堪能しよう。ナマエを忘れないように、ナマエが自分を忘れないように。
翌日、小太郎はナマエに別れを告げ、銀時と高杉とともに戦場へと赴いた。
真剣を使って最初に天人を切った感触は、嫌でも忘れないだろう。人間ではないが、同じ痛覚があるかもしれない者。小太郎は一瞬戸惑ったが、すぐにその考えを打ち消し、次の敵へ立ち向かった。人間とは違う生き物。人間を支配しようとする憎き生物であると、自分を奮い立たせて。
戦場では色々なことがあった。銀時や高杉の背中を守ったり、薩摩からやってきた坂本辰馬と出会ったり、酒を酌み交わしたり。
そして――戦争が終わりを迎える頃、松陽は銀時によって首を刎ねられた。この時流した銀時の涙は、おそらく一生忘れないだろう。
銀時たちが各々の道へ進む中、小太郎は身の振り方を考えた。小太郎は一晩悩み、松陽への弔いのため、そして天人へひれ伏した弱腰の幕府と、その支配下の社会を変えるため、攘夷志士になることを決意した。ナマエには危険な道を歩かせることになるが、何があろうと自分が守る。そう決めて、小太郎はナマエの元へ帰ったのだが。
「――いない?」
ナマエの家はもぬけの殻だった。ここにいないとすれば、どこにいる。神社の境内に行ってみるか、と引き返そうとして、声をかけられた。
「まあ、小太郎ちゃんじゃない! 戦争に行ったと聞いて心配してたけど、よかった、生きてたのね!」
近所に住む妙齢の未亡人、松子だった。
「……松子殿。ナマエはどこにいるか知らないだろうか?」
「ナマエちゃんね」と松子は表情を曇らせた。
「大変だったのよ。天人のちょっと偉い人に気に入られて、婚約まで強引にさせられて……」
「何 !?」
「でも、昨日江戸で式を挙げたらしいんだけど、噂では攘夷派のお侍さんに助けられたって聞いたわ。てっきり小太郎ちゃんが助けたと思ってたけど……」
「……その者の名前は?」
「そこまではわからないわ。けど、その人とナマエちゃんは一緒にいるみたい」
「そうか……ありがとう」
小太郎は礼を言うと、道を戻り始めた。
ナマエがどこかの侍と共にいるという事実に、黒い感情が湧き上がる。自分がここへ帰るのがもっと早ければ、その侍に先を越されないで済んだのかもしれない。
大勢の天人たちと一人で戦える、手練れの攘夷派の侍といえば限られてくる。最初に銀時が浮かんだが、彼ならナマエを自分の元へ帰すはず。
――……高杉か?
高杉ならばナマエを連れて行ってもおかしくない。奴はナマエに惚れている。
――一刻も早く、ナマエを助け出さなければ。
小太郎は駅へと急いだ。彼女がいるかもしれない江戸に行くために。