転校生は不思議な雰囲気を持っていた。
ツンツンした黒髪に、ギョロリとした黒い瞳、そしてその下に刻まれたこれまた真っ黒い隈。ナナの席からでもくっきり見えるのは、肌が白いせいもあるかもしれない。白いというより青白いかも、と頭を掻く手を見ながらナナは思う。日本人離れした白さだ。外国の血が混じっているのかもしれない。
また姿勢が悪く、さらに着ている学ランは上下、特にズボンは裾がたるむほどぶかぶか。背丈に合った皺ひとつないスーツを着こなし、しゃんとしている月とは、何もかも対照的だった。
「席は…佐藤の隣でいいな? …佐藤?」
彼のインパクトに面食らいつつも興味深く眺めていたナナは、担任に名前を呼ばれて我に返った。
「えっ、あ、はい」
「じゃあ竜崎、そこに座ってくれ」
「はい」
月の指示に頷き、転校生――竜崎がナナの所へやって来る。外股でのそのそと歩く姿は、猫背だからというだけでなく、大きな目や色味の少なさもあって猫のようだ。それに、彼が足を動かすたびペタペタ音が鳴る。
気になったナナは足元に目を落とし、微かに目を見開いた。靴下を履いてないらしく、ぶかぶかのズボンの裾から白い指が覗いている。足はナナの横で止まり、 サンダルから出て彼が引いた椅子の上に乗り始めた。そして膝を立てたまま腰を下ろす。彼の行動を目で追っていたナナは、その変わった座り方に驚きを隠せず 眺めていると、視線に気付いたのか、竜崎は彼女の方を向き、平坦な声で挨拶した。
「よろしくお願いします」
「あ、うん、よろしくね」
ナナのぎこちない返事に気を留めず、彼はまた前を向く。
あまりに当たり前のような顔をして座っているので、もしかしたら自分の感覚がおかしいのかと錯覚してしまうほど。不安になり周りに視線を移せば、皆同じように不思議そうな顔していた。とりあえず安心感を得た彼女はほっと息をつき、再び教壇を見据える。
教壇に立つ月は、その行動をあらかじめ知っていたらしく、少し苦笑いを浮かべただけで、また話を再開した。手短に用件を述べるので、月の話はとてもわかり やすい。いつも通りの早さで終わったショートホームルームの後、教室は異質な空気に包まれていた。原因は竜崎だ。転校初日の転校生といえば普通、人気者になるのだが、今のクラスメイトたちは彼の得体の知れなさに圧倒されて遠巻きにしている。
一方ナナは、この空気の中で何とか話し掛けようと隣の様子をうかがっていた。彼は皆の視線に動じず、壁に掛かった時計を暇そうに眺めている。話し掛けづらい。さっきの彼の挨拶が義務的だったこともあり、どうしても二の足を踏んでしまう。だが、これからはずっと隣同士なのだ。できることなら仲良くしたい。それに、彼の持つ独特な雰囲気に興味もある。ナナは、勇気を出して呼んでみた。
「…竜崎くん」
呼ばれた当人は秒針からナナへと目を移す。
「はい」
彼の落ち着いた声に、会話を拒む色はない。ナナはほっと胸を撫で下ろす一方、その濁りのない瞳に胸がざわついてもいた。こちらを見つめる彼の瞳は本当に真っ黒で、油断すると吸い込まれてしまいそうだ。気を取り直して月の言っていたことを思い出し、質問してみる。
「…えと、イギリスってどんな所だったの?」
竜崎は「そうですね…」と考えるように上を向き、またナナと目を合わせた。
「紅茶が美味しかったです、あと茶菓子も」
食べ物について言われると思っていなかったナナは、一瞬反応が遅れた。
「…へえー、じゃあ甘いもの、好き?」
「……はい、どちらかと言えば」
「珍しいね、男の人で甘いもの好きなんて」
「それは偏見です。隠しているだけで、実は甘党な男性も多いと思いますよ」
「え、そうなの? 先生とか魅上くんとか甘いの嫌いだから、みんなそうだと思ってた」
「みかみ…?」
首を傾げる竜崎に、「そこに座って日誌を書いてる人」と教える。
「学級委員長だから、何か学校のことでわからないことがあったら聞いてみるといいよ。すごく頼りになるから」
竜崎は魅上の後ろ姿を見ながら頷く。大分話しやすくなってきたナナは、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「いつもその座り方なの?」
竜崎は自分の足元に目を遣って、頷きながら言う。
「ああ…これは癖みたいなものです。気にしないでください」
「へえー…変わった癖だね。そういえば、なんで裸足なの?」
純粋に疑問を口にすれば、
「……靴下の締め付けが嫌いだからです」
と、彼は低く呟いた。何か恨みが込められているような気がして、ナナは笑みを浮かべる。今まで淡々と話していたために、その変化が余計に可笑しい。色々と変わっている人だ。
「ふふ、面白い人だね、竜崎くんて……あ、鳴った」
始業のベルと共に、喋っていた生徒達がガタガタと着席し始めるのを見て、竜崎はナナに問いかけた。
「授業ですか?」
「うん。一時間目は現文」
答えると同時に、松田が教室に入ってきた。日直の号令で皆が起立する。礼をして、また腰を下ろした。
だらだらと教科書を朗読する松田の声が教室内に響き渡る。脱落して机に突っ伏す者が出始める中、ナナは彼の声ではなく、ノートをとろうとしない竜崎に意識を向けていた。机には、ノートどころか教科書さえ置かれてない。忘れたのなら見せようかと思い、様子を見ていると、彼は両足の裏で机の手前側を押しながら、 カコカコ椅子を揺らしだした。ナナはたまらず声をかける。
「教科書、忘れたの?」
竜崎は椅子を揺らすのをやめ、ナナのほうに顔を向けた。
「いえ、重いので持ってきませんでした」
「えっ、そんな理由で? …って、しー、小声で話さないと先生に聞こえちゃう」
人差指を口元に当てながら焦って松田を見れば、幸い気づかなかったようで普通に授業を進めている。一番後ろの席でよかった。彼が鈍感なだけかもしれないけれど。
竜崎はナナの視線の先を見て頷き、小さな声で呼び掛けた。
「佐藤さん」
「うん」
「退屈です」
そんなにキッパリ言われても。
「本か何かありませんか?」
「ああ、本なら…」
ちょうど返そうと思って持ってきた本が何冊かあるはずだ。とりあえず脇に掛けたトートバックから一冊取り出して彼に渡す。
「ミステリでよかったら、どーぞ」
「構いません、ありがとうございます」
彼は摘まむように本を取って、人差し指と親指でパラパラとめくりだした。とてもめくり辛そうに見えたが、ページを捲る速度は何故か普通より速い。驚きながら見ていると、まだ半分もいかないうちに本を閉じてしまった。
「面白くなかった…?」
不安になって声をかける。
「いえ、面白かったです。ただ犯人が分かったので止めました」
「え、誰だと思ったの?」
本当に読んだのかも気になって聞いてみる。
「魚住です、朝コーヒーを入れられたのは彼しかいません」
「すごい…本当に読んだことないの?」
「はい…しかしこれは、『そして誰もいなくなった』の舞台を日本に置き換えた様なもので、わかりやすかったです」
「ああ、確かにそうっぽいかも…その作者、クリスティ好きだし。もっと読む?」
「はい」
ごそごそトートを探って借りた本を取り出す。ミステリ、児童文学、小難しくて脱落した哲学書…。一冊ずつ机の上に出していき、最後の本に手を伸ばそうとする。が、やめた。
残った一冊を見なかったふりをして、積み重ねた本を竜崎に渡す。彼は教科書が重いと言う割には軽々と受け取り、そしてぼそりと呟いた。
「…一冊隠しましたね」
ギクリと体を強張らせる彼女を余所に、竜崎は追求することなく本をめくり始める。その横顔にナナを責める色はなかったが、一応問い掛けた。
「…恋愛小説なんだけど、読みたい?」
「読みたいです」
てっきり否定されると思っていたナナは焦りだした。
「その…どちらかというと女性視点なんだけど…」
「構いませんよ、そっちの方が面白いです」
「そ、それほど面白くないかもよ?」
「何を……ああ、過激なんですね、その本」
ナナの頬がかすかに赤くなり、目が泳ぎだす。そのわかりやすい反応に、竜崎は口角を上げた。
「ますます読みたくなりました。貸してください」
「い、嫌です…」
屈んで来た竜崎から本を避難させるべく、ナナはトートに手を伸ばすが、彼の方が早かった。長い腕でひょいと取られてしまう。
「あっ!」
思わずあげた声に、松田の声が止まり、皆の視線がナナに集まった。
「どうした、佐藤? 切実な叫びだったけど…」
「すみません、何でもないです…」
「ホントに? 気になるなあ…まあいいや、ちょうどいいから佐藤にこの漢字当てよう」
読み仮名の書かれた黒板がコンコンと叩かれた。授業を聞いていなかったナナは、教科書の内容が指されなかったことにホッとしながら、他の漢字を指された生徒達と共に前へ出る。特に難しくはなくすぐに書き終わり、ざわざわと生徒達が騒ぎ出す中、席に戻る前に隣を覗き込めば。
「早速読んでる…!」
「大したことなさそうですね…女性向けの官能小説かと思えば普通の恋愛小説で、拍子抜けです」
「…恋愛小説って言ったじゃない。まず学校に官能小説なんて置かないでしょ」
それもそうですね、と本を読みながら適当な相槌を返す竜崎のふてぶてしさに、ナナはむっと眉を寄せる。そもそも彼が本を取らなければ、指されずに済んだのだ…声を上げた自分も悪いのだけれど。
「…期待外れなら返して?」
「いえ、読みます」
即答だった。
頬を膨らませ席へ戻って行くナナを尻目に、竜崎は一回り年上の教師と禁断の恋に落ちる女生徒の心理を追う。三人称で淡々と展開する文章からは二人が惹かれた理由は読めないが、恐らく恋は落ちるものだと言いたいのだろう。腹側蓋部から出る、ドーパミンが引き起こす現象。脳が見せる単なる錯覚と片付けたくなるのは、恋をしたことがないからか。
授業終了のチャイムと共に、竜崎は本を閉じた。そして本を入れたトートバッグをナナの方に掲げる。
「ありがとうこざいました、中々生々しかったです」
「…感想それだけ?」
「はい、それだけです」
憮然と言い放った竜崎を、ナナはバッグを受け取りながら軽くいさんだ。
「……竜崎くん、恋とかしたことないでしょ」
「…失礼ですね、それくらいあります」
「ふーん…イギリスの子?」
ナナの目は信じていない。
「はい、ブロンドの少女でした」
「金髪青目の? ふ、典型的な美少女だね…」
「…佐藤さんは、やっぱり教師が好きなんですか?」
ナナの笑みが引っ込んだ。
「…やっぱりって何?」
「教師ものの恋愛小説をわざわざ選ぶくらいですから、年上好きなのかと。違いましたか?」
「違……」
身を乗り出すナナをじっと見つめる。否定するのかと思いきや。
「…わないです」
嘘をつけない性分らしい。自身に腹が立っているのか、悔しそうに顔を背けるナナに、頬が緩む。単純明快な正直者。感情を隠すことに長けている捜査官や容疑者と関わることの多い彼にとって、新鮮な反応だった。
「それで、誰なんです?」
暇潰しに聞いてみる。
「…そこまで言う必要ないでしょ」
「私は言ったじゃないですか、不公平です」
「……あれって嘘じゃないの?」
「嘘じゃありません」
「…じゃあ、その子の名前何て言うの?」
「マリリンです」
「(嘘くさい……)」
*
「ねえねえ、随分話してたみたいだったけど、どうだった? あの転校生」
空になった隣の席で、粧裕は紙パックのストローを持ちながらナナに問い掛けた。
午前の授業が終わって、今は昼休み。男女それぞれがお喋りに興じながら、昼ご飯を食べていた。
ナナは箸を止め、「うーん…」と唸る。
「……掴み所がないけど、面白い人だったよ。あとすごくマイペースっていうか…」
「へえー。ふふ、マイペースなのは話さなくてもわかったよ」
粧裕がおかしそうに笑う。というのも、二時間目の授業中竜崎の携帯が鳴り、彼は平然と電話に出たのだ。しかもその後用があると言って、ナナを含めたクラスメイト全員の困惑を背に、さっさと早退してしまった。
何より驚いたのが、携帯が鳴った時、あの規則に厳しいと有名な夜神先生が怒らなかったということ。少し顔をしかめはしたが、電話に出るのを止めなかった。
「ね、あの時何で先生止めなかったんだろうね…?」
先ほどの総一郎の様子を思い出して尋ねると、娘の粧裕もまた首を捻る。
「さあー…そういう約束で転校してきたんじゃない?」
「ああ、そうかも。頭良さそうだったし…」
「そうなの?」
「うん。推理小説の犯人、すぐ当ててた」
「え、すごいね」
「後ね、本をめくるスピードが何か速いの!」
「ふふ、何それ」
「二本指でこう…つまむような持ち方してるんだけど、読むのが速いんだよね。うん、ホントに変わった人だと思うよ」
「へえー、私も話してみたいな……ところでさ、最近お兄ちゃんとはどうなの? 何か進展はあった?」
それが本題だったか。話を変えニコニコと笑う粧裕に、ナナはうらめしげな視線を送る。
「……何もないよ」
「えー、早く行動しないと、ミサちゃんに取られちゃうよ?」
「そう言われても…大体月先生は生徒に手を出すようなマネしないよ」
「卒業生には?」
「………」
何も言えなくなってしまう。
「せっかくテニス部に入ってるんだし、頑張ってみなよ! お兄ちゃんナナのこと気に入ってると思うし」
「……またそんなことを…」
例え嘘だとしても、頬に赤みがさすのは抑えられない。すぐに手で顔を隠すが、それが余計に粧裕を喜ばせた。
「ふふ、赤くなってる。かわいー」
「もう、からかわないで…本当だとしても、それはわたしが粧裕の友達だからでしょ。それに部活は月先生目当てで入ったんじゃないし、わたしの場合、ただ憧れてるだけかもしれないし」
「…ふーん」
「な、何その目は…」
「ふふ、何でも。まあ、いずれにしても悔いは残さないようにね。高校生活は一度しかないんだから」
「まあね…」
確かに後悔はしたくない。
ナナは粧裕の言葉に小さくうなずいた。
2012/10/29
読んでたのは『ツ、イ、ラ、ク』