ヅラ子に一目惚れする
その人は今まで見たこともないほど綺麗な「女の人」だった。
艶やかな黒髪は肩でゆるく縛られ、どことなくアンニュイな雰囲気を持っている。反面青のシャドウで彩られた切れ長の目はまっすぐ前を見つめ、強い意志を感じさせる。紫の着物が「彼女」の魅力と色気を引き立たせているかのようだ。
職場からの帰り道、その風貌に囚われて目で追った私に「彼女」は気づき、目を細めた。
「……俺に何か用か?」
私ははっとして、口ごもる。
「い、いえ……その、美しい方だと思いまして、目で追ってしまいました……」
思ったことをそのまま言ってしまった。熱くなった頬を手で隠せば、「彼女」は紅の引かれた形のいい唇を緩めた。
「……ありがとう。これから仕事なんだ、よかったら貴様も来てくれないか?」
「彼女」はそう言って、懐から名刺を取り出した。そこに書かれていたのは――
「かまっ娘クラブ、ヅラ子、さん? もしかしてかぶき町ですか?」
「そうだ」とヅラ子さんは頷く。かぶき町は危ないところだと昔から両親に聞かされていた私は、一瞬迷ったけれど行くことにした。ヅラ子さんの美貌をもっと見たかったし、話したいと思ったからだ。私はクラブへ向かうヅラ子さんの、少し後ろをついて歩く。
「名前は?」
「ナマエといいます」
「ナマエか、いい名だな」
まさか褒められるとは思っておらず、私の頬はまた熱くなる。それを誤魔化すように問いかけた。
「……ヅラ子さんはどのくらい勤めてるんですか?」
「まだ入って二週間だ」
「そうなんですね、入ろうと思ったきっかけなどはありますか?」
「きっかけか……無理やり入らされたと言った方が正しいな」
「えっ?」
「クラブのママと色々あってな」
そう言って、ヅラ子さんは微笑んだ。その含まれた笑みに、私の心臓が音を立てる。どうして、私はこの人の一挙一動にどきどきしてしまうのだろう。
かぶき町はそろそろ日が暮れるというのに活気があった。ヅラ子さんに続いて角を曲がると「かまっ娘クラブ」の看板が現れた。
「ここだ」
生まれてこの方かぶき町に足を踏み入れたのも初めてだし、このような如何わしい店に来たのも初めてだった。私はヅラ子さんの後に続いて、意を決して飛び込んだ。
「いらっしゃいませー」
ハートマークがつきそうなほどの甘く太い声に出迎えられる。そこには大勢の「女性」がいた。
「まあ、可愛い女の子だこと!」
「ヅラ子の知り合い?」
「名前は?」
髭跡が青い「彼女」たちの勢いに圧倒され、私は思わずヅラ子さんの袖を掴む。ヅラ子さんはそれに気づいたらしく、私の肩を抱いて言った。
「貴様らの勢いにたじろいでいるだろう! 彼女はナマエ、俺の客だ」
「こ、こんばんは」
ヅラ子さんに頼ってばかりもいられない。挨拶して微笑むと、「彼女」たちは「かーわいいー」と一層声を上げた。悪い人たちではなさそうだ。
座って座って、と促され席に着く。ふかふかのソファだ。今になってお金をそんなに持っていないことに気づき、隣に座ったヅラ子さんに囁いた。
「あの、私そんなにお金持ってなくて……」
「気にしなくていい。もともとナマエが金を持っているという期待はしてない」
「えっ……」
ショックを受け、固まった私に、ヅラ子さんは慌てることなく言った。
「俺が連れてきたようなものだからな。ナマエは千円くらいでいい、あとは俺が出す」
「そんな」
「ただし、今度からはちゃんと出すように」
ヅラ子さんはそう言って人差し指を立てた。私は今度があることが嬉しくて、はい、と頷いた。
それからは夢のような時間だった。三味線に合わせて踊るヅラ子さんは本当に優雅で美しかったし、話していてとても楽しかった。ただ楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。お会計が終わり、ヅラ子さんと別れる時が来てしまった。
「ヅラ子さん、ありがとうございました。本当に支払っていただいて……」
「礼などいらん」
そう言ったヅラ子さんがとても男らしく見えて、またどきりとしてしまう。
「ヅラ子さん……私、ヅラ子さんのことが好き、かもしれないです」
自然と言葉が口から出ていた。もうこの際言ってしまおう、と吹っ切れる。
「……ヅラ子さんが、男性がお好きなことはわかってるんです。でも私は、ヅラ子さんを男性として好きになってしまいました」
様子を見れば、ヅラ子さんはきょとんとした顔をして、それから徐々に白い肌が赤くなっていった。
「な、何を……」
「こんなの、迷惑ですよね……ごめんなさい、失礼します」
くるりと背中を向けて歩き出す。数歩歩いたところで手首を掴まれた。
「待ってくれ」
振り返ると赤い顔のヅラ子さんがいた。
「俺が男が好きだといつ言った?」
「え、だってヅラ子さんはおかまで――」
「おかまじゃない、ヅラ子だ……じゃない、俺は女が好きだ」
「……おかまじゃないんですか?」
「そうだ、これはイヤイヤやっている仕事だからな。俺はおかまじゃない、決して」
エリザベスに誓う、とよく分からない事を言っているけれど、ヅラ子さんはおかまではないらしい。私はなんだかおかしくなって笑ってしまった。
「……何がおかしい?」
「ふふ、よかったなと思って――わっ」
手を引かれたと思えば、ヅラ子さんに抱きしめられていた。
「ヅラ子さん?」
「俺の本名は桂小太郎という」
「えっ!? あの攘夷浪士の……?」
「そうだ……もし俺と付き合えば幕府に追われる危険も出てくる。それでもナマエは俺と付き合いたいか?」
ヅラ子さん――桂さんは、もう私と付き合うことを視野に入れているようだった。私は何の迷いもなく頷く。
「私は、どんなに危険があろうと桂さんの傍にいたいです」
「ナマエ……!」
ぎゅうぎゅうと力を入れられ、桂さんの背中を叩く。
「桂さん、苦しいです……!!」
「おお、すまんすまん」
ぱっと離れた桂さんは、照れくさそうな顔をしていた。
「接吻のひとつでもしてやりたいが、こんな格好ではな……」
「また今度の楽しみにしましょう」
にっこりと笑うと、桂さんも笑みを返してくれた。桂さんと付き合うことは、親にも友達にも誰にも言えないだろうし、真選組からもしかしたら狙われるかもしれないけれど、今だけはそんなことを忘れて、桂さんと向き合いたかった。
20241223