思い思いの固結び
セブルスはゆっくりとまぶたを開いた。白い天井が目に入る。病室にでもいるかのようだ。夢を見ているのだろうか、と二度、三度瞬きする。自分は確かに、ダークロードの蛇に噛まれて死んだはずだ。
――……なぜ生きている?
傍らに人の気配を感じて横を向けば、そこには若い女性が座っていた。腕を組んで眠っているらしく、胸が小さく上下する。セブルスはこの女性の名前は知らなかったが、見覚えはあった。確か医務室でマダム・ポンフリーの助手をしていた者だ。手を伸ばそうとすれば、首に痛みが走った。
「っ、」
声を出そうとするも、出てこない。傷の深さを知る。
「ス、スネイプ先生っ!!」
女性が目を覚まし、セブルスが伸ばそうとした手を取った。
「大丈夫、ですか? 今ヒーラーを呼びます……」
セブルスはその手を振り払おうとしたが、できなかった。彼女は両手で彼の手を握っていた上、涙を流していたからだ。
「先生が無事で、本当によかった……!」
その瞳には純粋な安堵と喜びと、そして愛情があった。
――そうだ、この娘は私をこんな目で見ていた。
セブルスは目を逸らした。
セブルスの容態は日に日によくなっていった。ポッターやウィーズリー、グレンジャーたちが見舞いに来ることもあった。セブルスは面会を拒否したかったが、ポッターたちがどうしても見舞いたいと言うので許可することにした。ポッターは余計なことを話したらしく、いつだかの新聞には自分がいかにダークロードに打ち勝つための手助けをしたかがつらつらと書かれていた。セブルスは反射的に新聞を破り、そばにいたミョウジを驚かせた。
ナマエ・ミョウジというのが、その女の名前だった。この娘は自分の世話くらいしか仕事がないのか、毎日のようにやってくる。
「……君は余程暇なのかね?」
声が出せるようになり、一番に皮肉を言うと、ミョウジは嬉しそうに笑った。その笑みはセブルスの心をざわつかせた。人に好意を向けられること自体、慣れていなかった。
「今の言葉、すごく先生っぽいです。私、先生の皮肉大好きです」
セブルスは鼻を鳴らした。何と返せばいいかわからなかった。
詳しく聞けば、ミョウジはセブルスの命を救い、聖マンゴ病院へ連れてきたらしい。
「どうやって私を助けた?」
「ハリーから先生が倒れたと聞いて、すぐに駆けつけたんです。できる限りの止血はして、人工呼吸も行いました。心臓が弱々しいながらも動き始めて、それからここへ……」
「なぜ、助けた?」
ミョウジは困ったように笑った。
「それは……先生なら何となくわかるでしょう?」
セブルスは口を閉ざした。この娘にそれほど好かれているというのか。理由がわからなかった。
「君はなぜ、それほどまでに私を……?」
思わず零れた言葉に、ミョウジは顔を赤らめた。それから決意したように口を開いた。
「最初は、怖い先生だなと思ってたんです。でも、先生は覚えてらっしゃらないと思うのですが、一度だけ夕食の席で隣になったことがあって……その時色々あって、あまり食が進まなかったんです。先生はそんな私を気遣ってくださりました。そこから、先生を目で追うようになっていたんです」
言われてみれば、確かにそんなことがあったような気がする。大丈夫か、と声をかけた覚えがある。自分の隣で辛気臭い顔で食べられるのが嫌だった。そんな軽い気持ちからだ。
「私が眼中にないことは知ってます。これは私のエゴです。先生を助けたのも、先生の世話をするのも、全部私の身勝手な理由からです……ごめんなさい、嫌ですよね」
ミョウジは自嘲するように言った。セブルスは無言で彼女の話を聞いていた。
「嫌でしたら、もうここには来ません……」
「……嫌ではない」
自然と口から出ていた。その言葉を発したセブルスが、一番驚いていた。なぜミョウジを引き留めようとしているのかわからなかった。
「えっ……?」
「嫌ではないと言っている……明日もここに来い。まだ食べたい物もある」
ポッターが要らぬことを話したせいで、知らない人間からの見舞いの品が次々とテーブルに積み上げられていた。中には果物も混ざっており、まだ立ち上がることの出来ないセブルスは、自分一人では食べられない。ミョウジは目を瞬かせ、それから花のように笑った。セブルスは見ていられず目を逸らす。その笑みには、初恋の人の面影があった。ミョウジとリリーは似ても似つかない。彼女を重ねた自分に腹が立った。
ミョウジは面倒なことに、さらにやる気を出したようだった。果物を切ることはもちろん、セブルスの口にそれを運ぼうとした。セブルスは拒んだ。
「自分で食べられる。私にも手はあるのでな」
半身を起こしたセブルスは、ゆっくりとフォークを持ちイチゴを食べる。その様をミョウジに陶然と見つめられる。
「私、まだ信じられません。先生が、あそこからここまで回復するとは思わなかった……」
「……ヒーラーのおかけだ」
そして適切な措置をしたミョウジのおかげでもある。彼女がいなければ、自分は死んでいた。そういえば、ミョウジへ礼を言っていない。言おうかどうか考えていると、フォークからイチゴがこぼれ落ちた。セブルスの口元を濡らす。
「あっ……」
ミョウジがイチゴを掴むと、ハンカチをセブルスの口へそっと当てた。その手つきは優しく、ハンカチはほのかに彼女の柔らかい匂いがする。柄にもなく心臓が跳ねる。目をあげると至近距離に彼女がいた。ミョウジは気づかないようで、自分の口元を見つめている。こうして見ると、彼女の顔は整っている。セブルスは彼女の手首を取った。思った以上に細い手首に驚く。
「……もういい」
セブルスからミョウジの身体に触れることは今までなく、彼女は少し驚いたようだったが、すぐにハンカチをしまった。
「私は……君に礼を言わなければならんな」
「お礼なんて、要りません」
ミョウジは微笑んだ。
「先生が生きてさえいてくれれば、それでいいんです」
「……先生はやめろ」
前から思っていたことだった。自分はすでに教師ではなく、ただの病人だ。
「セブルスと……呼べ」
ミョウジにリリーを重ねていることは、重々承知していた。ミョウジはぱちりと瞬きし、それから喜びを頬に浮かべた。
「……セブルス」
彼女の声で名前を呼ばれる。この名前はこれほど響きがよかっただろうか。じわりと心があたたかくなる。
「……私のことも、ミョウジではなくナマエと呼んでください」
「ナマエ、か……」
「はい」とナマエは顔をほころばせた。
「せんせ……セブルスが私の名前を呼ぶなんて、夢みたいです」
こちらへ向ける眼差しは、相変わらず優しく、愛情に満ちている。その愛に身を任せてみようか。一瞬過った考えに、セブルスは驚愕する。自分には後にも先にも愛する人はリリーしかいない。そう思っていた自分がこんな感情を抱くとは。
「セブルス……?」
心配したらしく、ナマエに顔をのぞき込まれる。
「どうかしましたか?」
セブルスは冷静に言った。
「……何でもない」
そう、何でもないのだ。ただセブルスは弱っていて、世話を焼いてくれるナマエの好意に絆されているだけだ。この気持ちは一過性のものに過ぎない。いずれ退院する時が来れば、またリリーへの愛と後悔に生きるのだ。
ナマエはよく気が利いていた。セブルスが声をかけずとも、退屈しのぎの本や新聞を持ってきてくれたり、果物を剥いてくれたりした。そうした細かいこと以外にも、セブルスのために動いてくれた。病室を個室にしてくれたのも、そのひとつだ。次第に歩くことができるようになり、他の病室を外から眺めているうち、自分は特別扱いされていることに気づいた。
「……ナマエ」
付いてきていたナマエに――散歩するのに付き人は要らないと言ったのにもかかわらず、彼女は隣にいた――声を掛ける。ナマエは嬉しそうに微笑み、小首をかしげた。
「何でしょう?」
「私の病室が個室なのはどうしてかね?」
「セブルスが、人と一緒なのは嫌だろうと思ったからです」
ナマエは自分のことをよくわかっているようだった。
「……ありがたいが、その費用は私が払うのだが」
「そう言うと思ってました。私も半分払います、それでいいでしょう?」
ナマエは自分に慣れてきたらしく、あっけらかんと言った。セブルスは眉間に皺を寄せた。
「……君は、いつから私の妻にでもなったのかね?」
特に深い意味はなかった。いつもの調子で皮肉ると、ナマエはみるみるうちに顔を赤らめた。セブルスは、自分が言葉選びをしくじったことに気づいた。ナマエは慌てたように言った。
「別に、そういうつもりで払うんじゃなくて……ただ、私が勝手に個室を選んだことだから……でも、」
最終的には、そうなりたいです。
とても小さな声で、ナマエはその願望を口にした。恥じ入るように両手で顔を覆った彼女に、セブルスは当たり前のように、かわいらしいと思ってしまった。
「……最後の言葉は聞かなかったことにする」
セブルスはそう言って歩き出した。彼女から遠ざかるように、自分の気持ちから遠ざかるように。
しかし、見て見ぬ振りをするのはもうできなかった。ナマエへの気持ちは、退院が迫るにつれて大きくなっていった。彼女の愛に、セブルスはずっと固まっていた自分の心が解けるようだった。
「……ナマエ」
名前を呼ぶと、彼女はいつも新鮮な笑みを浮かべた。いつしかセブルスは、自分の気持ちに素直になろうと思い始めた。それだけ彼女への想いは大きくなっていた。告白をすれば、ナマエはどんな反応をするだろう。喜ぶだろうか、恥ずかしがるだろうか、それとも泣くだろうか。その答えを知るべく、セブルスは口を開いた。