夜をくるむ温度

 私とジェームズは似ていない。双子だけれど顔も性格も正反対だ。ジェームズは基本的に明るく誰とでも仲良くなる。今だって、コンパートメントで一緒になったシリウス・ブラックという男子とずっと友達だったかのように話している。私は向かいでそれを眺めるだけだ。ジェームズも私のことは無視して話している。
 ジェームズはたぶん私のことが嫌いだ。根暗で、誰とでも仲良くなれない私が。私でも私が嫌いだから、それは仕方のないことだと思う。双子だからといって仲がいいとは限らない。血の繋がりは親密になる理由にはならない。
 あんまり見ていると何か文句を言われそうだったから、私は車窓に目を向けた。そのとき、ノックと同時にコンパートメントの扉が開いた。
「……ここ、空いてるか?」
 髪が長く鼻が大きな男子と、何やら泣いている女の子が入ってきた。男子は私を見てはっとしたような顔をした。もう一人いるとは思わなかったようだ。私は立ち上がった。
「……いいわよ、私違うところに行くから」
 三人で座ればぎゅうぎゅうになってしまうし、泣いている女の子を慰めるのはその男の子の役目のような気がした。ジェームズもさすがに話をやめてこちらを見ていた。その顔には何の感情も浮かんでいなかった。「ありがとう」と去り際にぼそっと礼を言われる。言い慣れていないような響き。私は会釈して荷物とともにコンパートメントを出た。
 最後尾の方に誰もいないコンパートメントを見つけ、ほっとしながら座る。ジェームズから離れられたのはある意味よかったかもしれない。ぼんやり飛び交う景色を見ていると、コンパートメントの扉が開いた。
「ここ、座っても大丈夫?」
 目の赤い女の子と鼻の大きい男の子。先ほどの二人だった。
「……大丈夫」
 女の子はラックに荷物を置くとどさりと座った。何やら怒っているようだ。
「あの人たち、信じられない! 嫌な感じだわ、セブをスニベルスなんて……!」
「うん、感じ悪かった……」
 どうやらジェームズたちに嫌な思いをしたらしい。妹として少し気になり、声をかけた。
「……何かあったの?」
「この子が馬鹿にされたの! スリザリンに入った方がいいって言っただけなのに」
 ジェームズが彼を馬鹿にするのもうなずけた。ジェームズはグリフィンドール至上主義だ。うちの家は皆グリフィンドールだし。敵対するスリザリンを軽蔑している。確かにスリザリンは純血主義だし闇の魔法使いを輩出しているけれど、それは人によるとしか言えない。ジェームズは視野が狭いのだ。
「ごめんね、うちの兄が……」
 妹として謝らなければならないと思い、そう言えば、女の子は目を丸くした。
「えっ、兄弟なの?」
「うん、双子のね。全然似てないでしょ?」
「そうね……」
 それからは三人で話をした。女の子はリリー、男の子はセブルスと名乗った。リリーはとてもいい子で人見知りの私でもすぐに仲良くなれた。基本的にリリーと話していて、セブルスは見ているだけだったけれど、彼はそれで満足なようだった。二人は昔からの知り合いらしく、リリーは彼をセブと呼んだ。そう呼ばれる度、セブルスの眦が緩んだ。セブルスは私と同じような雰囲気だったけれど、彼は恋をしているという時点で私とは全然違う人種なのだとわかった。私は恋をしたことがない。ホグワーツで好きな人ができるだろうか。そう考えて、私は私に呆れる。そんなことを思うなんてどうかしている。
 特急は振動とともに停まり、周りもばたばたと準備をし始める。私たちはローブに着替えて、荷物を持って外へ出た。
「一年生、一年生はこっち!」
 駅では縦にも横にも大きな男の人が叫んでいる。男の人の先導で、険しい岩場を登ると、そこには湖があり、その奥には荘厳なホグワーツ城が佇んでいた。皆わあっと歓声をあげる。これがホグワーツ、魔法を学ぶ場所。私もまた場の雰囲気に呑まれたのか、少し感動していた。星がきらめく中黒く佇む城の存在は大きく、これからの学生生活に期待せざるを得なかった。
 リリーたちと小舟に乗り込み、男の人が傘で舟をつつく。すると漕がずとも舟は城へと向かった。
「すごいね……」
「うん、とうとう来た」
「早く魔法学びたいわ」
 リリーがうずうずと言う。「僕も」とセブルスが返す。
「私たち、一緒の寮になれるといいわね」
 リリーはこちらにも目を向けて言ってくれたから、私はなんだか胸が熱くなった。「そうね」と相槌を打つ。なんとなくリリーはグリフィンドール、セブルスはスリザリンになりそう。私は――どこがいいだろうか。
 組み分け帽子はリリーをグリフィンドールに分けた。ジェームズもまた、グリフィンドールだ。
「ポッター、ナマエ!」
 ジェームズの次に私の名前が呼ばれる。前に出て帽子を被れば「ほうほう」と声が聞こえてきた。
「どんなことをしても目的を遂行しようとする狡猾さがありながら、それに相応する勇気も持っている。グリフィンドールかスリザリンか……どっちに入れたらいいか」
 スリザリンがいい、と私は思ってしまった。ジェームズとともにグリフィンドールで暮らすくらいなら、スリザリンとして悠々自適に過ごしたい。セブルスもきっとスリザリンだろうし。ジェームズには本格的に嫌われそうだし、いろいろ面倒なことになりそうだけれど、私に合う寮はスリザリンしかない。
「スリザリン!」
 帽子は私の意思を尊重してくれた。走って金髪の監督生の隣に座る。グリフィンドールの方を見れば、ジェームズが唖然とした表情をしていた。まさか私がスリザリンに入るとは思わなかったのだろう。思慮の浅いやつだ。隣に座るリリーはこちらを見て切なそうな顔をしていた。胸が痛くなったけれど、私の選んだ道だから仕方がない。手を振れば振り返してくれた。
 組み分けが終わり、隣に来たセブルスとともに豪華な夕食を食べる。
「……兄と一緒の寮じゃなくてよかったのか?」
 ウインナーにフォークを立てながらセブルスは言う。
「いいの。双子だからなんでも一緒ってわけにはいかないでしょ」
 いずれは分かれる時が来る。今がそうだっただけだ。
「セブルスはリリーと分かれちゃったね」
「……ああ」
 セブルスはそれが結構ショックだったようで、無言になってしまった。
「セブルスは……私と友達になってくれる?」
 話題を変えようとして、重い言葉が出てしまった。拒否されたらどうしよう、と思ったけれど後には引き返せなかった。セブルスはパンを食べながら頷いた。
「……ああ」
「ありがとう……よろしくね、セブルス」
 右手を出せば、彼は握ってくれた。ごつごつした骨ばった手。もう少し太って筋肉をつければリリーも見直してくれるかもよ、と言いかけて、耐えた。きっとセブルスのその感情は、周りにはあまり知られたくないだろうという気がしたから。

 最初の一週間は、広いホグワーツに翻弄されっぱなしだった。ただでさえどこにどの教室があるかわからないのに、階段が動くせいで余計にわからなくなった。私が地図を読むのが苦手だというせいもある。セブルスはといえば、私とは反対に一度行ったところは忘れないらしく、よく先導してくれた。彼のおかげで授業に遅れなかったと言っても過言ではない。
 授業は魔法史を除いてとても楽しいものだった。買ってもらった杖で呪文を唱えたり、薬草を刻んだり。待ちに待った学校生活がここにはあった。何よりジェームズと離れたことは大きかった。一緒にいるとどうしても比べられるから、ジェームズが側にいないというのはとても居心地がよかった。
 予想していた通り、両親は私がスリザリンに入ったと言っても驚いただけで、特に軽蔑などはなかった。ジェームズはというと、私がスリザリンに入ったのがどうしても許せないらしく、私を無視することにしたようだった。そして、私と一緒にいるセブルスを攻撃するようになった。これはたぶん、セブルスが私といるからではなく、ジェームズがリリーを好きになったからなのだろうと思う。
 たまに夕食の時にグリフィンドールの席を見ると、ジェームズがリリーに話しかけている場面をよく見る。リリーは最初の嫌な印象が抜けないらしく(頑固なところがあるのかもしれない)、ジェームズを無視している。セブルスもまたその場面を見ていて、ほっとしたような表情を浮かべている。
 リリーはモテる。その可愛さと優秀さと性格の良さなら当たり前だ。入学して一ヶ月後にはレイブンクロー生に告白されたと噂されている。その上リリーは気さくで、セブルスや私のような日陰の者とも話してくれる。今だってそうだ。中庭でたまたま会った私たちは、三人で芝生の上に座っている。五月のみどりも、青空も冴え渡っている。
「――ポッターには迷惑してるわ。何かとちょっかいかけてくるの」
「あいつ! あいつは本当に嫌な奴だ、僕に攻撃してくるし……」
「うん……ごめんね、ジェームズはそういうところがあるから……」
「ううん! ナマエが謝る必要なんてないわ、ポッターの――ああ、ナマエもポッターなのか、でもあいつをファーストネームで呼ぶのは嫌だわ」
「うん、口に出したくもない」
「ポッターで大丈夫だよ、私は気にしないから」
 リリーはまじまじとこちらを見た。
ナマエがポッターに似なくて本当によかった。性格もポッターの何倍もいい!」
 顔も可愛いし、とリリーは私の長くなった前髪をかきあげながら言う。
「どうして前髪伸ばしてるの? 短い方が断然可愛いのに」
「あんまり視界に人を入れたくないの。切って失敗もしたくないし」
「うーん、よくわからないけど私が切ってあげるわ! 器用な方だから任せて」
 後日、リリーに前髪を切ってもらった。確かにリリーは器用で、綺麗な前髪になっていた。これからは私が切るから、と言うのでお願いすることにした。リリーと話せる機会が増えるからだ。

 リリーに前髪を切ってもらう回数を数え切れなくなった頃、私たちは四年生になっていた。四年生にもなると呪文の複雑性も、威力も上がってくる。セブルスへのいじめは悪化する一方だった。ジェームズとブラックがセブルスを見かけるとすぐに杖を向けるのだ。セブルスもやり返すものの、二対一なので圧倒的にセブルスが不利だ。なので私も二人に杖を向けた。とはいえ攻撃してはジェームズと同じレベルになってしまう。だからエクスペリアームスだったり、セブルスへプロテゴしたりとできる限りのことをした。ブラックはさすがに女性に攻撃はできないようだったが、ジェームズは違った。兄弟だからというのが大きいのかもしれない。平気で攻撃呪文を放ってくるので私は防衛したり跳ね返したりしてやり返した。幸い呪文学の成績はよかったので、ジェームズの攻撃が当たることはなかった。授業が始まるか、ジェームズが飽きるまで攻撃は続く。
「攻撃してこないのか? 随分いい子ちゃんになったんだな」
「あなたと同じレベルになりたくないだけよ」
 そう言うとジェームズはムキになった。一層強い呪文を放った。
 無視されるよりは、まだマシになったのかもしれない。自分からジェームズに話しかけることはなかったものの、ジェームズから挨拶もないというのは意外とショックだった。だからか、こうして喧嘩している今が楽しくないと言えば嘘になる。彼と話せていることを嬉しく思う自分がいる。
「……ジェームズ、もうすぐ授業だよ」
 大抵この喧嘩を止めるのはルーピンだ。グリフィンドール生で、ジェームズたちと仲がいい。ルーピンがそう言えば、ジェームズも仕方なくやめる。
 去っていく彼らの姿を見ていると、隣に立つセブルスが言った。
「何なんだ、あいつら。ナマエにも手を出して」
「私の場合は兄弟喧嘩だからいいの。それよりセブルスは大丈夫だった? あ、」
 セブルスの頬に切り傷を見つけて、そっとその頬に触れれば、セブルスはびくりとした。
「ごめん、痛かった?」
「いや……」
「治しとくね」
 杖でゆっくりと傷口をなぞり、塞いでいく。セブルスの怪我も多く、私は治癒呪文も得意になっていた。
「……ありがとう。一つ言うが、ほかの男にそういう触り方はしないほうがいい」
「他の男になんて触らないわ。セブルスだから触れたの」
「なんで君はそういう……」
「ん?」
「……いや、何でもない」
 授業に遅れる、と言ってセブルスは歩き出した。私も後を追う。
「……ルーピンが、月に何度か体調不良で休むだろう?」
「うん」
「その周期を確かめたら、満月の日の付近で休んでるんだ」
「それってつまり……」
 人狼、ということか。
「ああ、僕はそう思ってる。だからちょっと嗅ぎ回ってみようと思うんだ。奴の弱みを握るために」
 あまり詮索しない方がいい気がしたが、セブルスもまた頑固なところがある。私は何も言わず頷いた。
 結論から言えば、詮索はやはりしない方がよかったらしい。その日を境に、セブルスはその件には触れず、一層ジェームズへの憎悪を露わにした。何かあったのだろう。セブルスが話さないということは、ダンブルドア校長から口止めがあったということだ。ということは、ルーピンは人狼で間違いないということだ。
 私は個人の秘密を打ち明けるような性格ではないので、リリーに髪を切られている今も、そんな話はしなかった。
「……最近さ」
「うん」
「セブルス、エイブリーたちと話すことが多くなってる」
「……うん」
 リリーの相槌は暗かった。
「私、嫌なの。セブルスが闇の魔術に詳しいことは知ってるけど、闇の魔術にセブルスが溺れるのは、いや」
 リリーは杖を振り、切った髪を片付けながら言った。
「……私もそう思うわ。マルシベールたちはメアリーに闇の魔術をかけようとしてたし、そういう人たちと付き合うのはやめた方がいい。ナマエから注意はしたの?」
「したわ。でも聞かないの……リリーから言えば、少しは変わるかも」
「どうして?」
「それは……幼なじみだし」
「今度会った時言ってみるわ」
 リリーはそう言ったものの、セブルスは彼らとつるむのをやめなかった。そして、五年生の学期末、セブルスはリリーを「穢れた血」と呼び、リリーの心はセブルスからかけ離れてしまった。離れてしまったリリーの心を取り戻すには、最も優れた闇の魔法使いである、デスイーターにならなければならないと、セブルスは余計に闇の魔術に傾倒した。
「だから私、何度も言ってるじゃない! デスイーターになってもリリーの心は取り戻せないって」
「どうしてそんなことがわかる?」
「リリーは闇の魔術を嫌ってるからよ……セブルスだって薄々わかってるんでしょう? わかってて、でも闇の魔術が好きだからそれを理由に没頭してるんでしょう?」
「…………」
 セブルスは何も言わなかった。何も言わず、本を読んでいた。
 談話室の緑の光がゆらゆらと揺れている。深夜の談話室には誰もいなかった。
「……それでもセブルスがデスイーターになるっていうのなら、私もセブルスと縁を切るわ」
 私にセブルス以外の友達はリリーしかいない。それでもデスイーターになりたいという友達を持つよりずっとマシだ。
「……好きにしたらいい」
 決定的な言葉だった。セブルスはリリーよりも私よりも闇の魔術を選んだのだ。
 以来、私は一人で、セブルスはマルシベールたちと行動した。たまにリリーとは話をした。話の中でセブルスの話題が上がることはなかった。代わりに姿を見せたのは意外にもジェームズだった。
「……ポッターが変わったの」
「えっ?」
「傲慢で勝手だったポッターの態度が、良くなったの」
「……何でだろう?」
 こないだのクリスマス休暇の時は特に変わった様子はなかった……といえば嘘か。珍しく私の隣に座っていた。私に話しかけることはなかったけれど、なんとなく話しかけたそうにしていた。
「どうしてかはわからないけど、良い変化だわ」
「……リリー、ちょっとジェームズのこと気になってるでしょ」
 笑いながら言えば、リリーは怒った。きっと図星なのだ。リリーが私の親戚になるのもいいかもしれない。私も、ジェームズとの仲を何とかしなければ。
 そう思っていた矢先、薬草学のハウスへ移動中にジェームズたちと出くわした。私は異様に緊張したけれど、すれ違いざま、「ジェームズ」と呼びかけることに成功した。
 振り向いたジェームズは何かを察したらしく、ブラックたちに「先に行ってて」と言い二人きりになった。
「……元気?」
「ああ、元気さ」
「……こうして話すのも久しぶりね、何年ぶりかしら」
「うーん、五年のスネイプいじりの時以来だから一年ぶりかな」
「あれは話したって言わないわ」
「はは、そうだね」
 ジェームズは笑った。自分に笑顔が向けられるのはいつぶりだろうか。私はその笑みを見て安心した。
「……リリーのこと、相変わらず好き?」
「……ああ、好きだ。どうしようもなく」
「なら、いいわ。リリーを大事にするって約束するなら、付き合ってもいい」
「えっ、なんで君が許可するんだい?」
 ジェームズは笑いながら言った。私も笑う。ひとしきり笑って、言う。
「なんだか、こうやって笑いあってるのも夢みたい」
「夢じゃないさ、現実だ」
「……ジェームズは私のこと嫌いだったでしょう?」
「……正直に言えば、そうだった。ナマエは僕とは正反対だったからね。スリザリンにも入ったし」
「まあ、そうだよね」
「なんでスリザリンに入ったんだい?」
「……ジェームズの側にいたくなかったから。比べられるのが嫌だったの、昔から」
「……お互い嫌だったんだな」
「そうだね……」
 互いに無言になる。重い空気を吹き飛ばすようにジェームズは言った。
「まあでも、今こうして普通に話せてるんだし、よかった。今までごめんな」
「こっちこそ。これからはこうして、気軽に話して欲しい」
「ああ、もちろん」
 ジェームズは口角を上げた。私も笑みを返す。「じゃあ」と言って別れた。歩む方向は別だけれど、ジェームズとの心の距離は近づいた。心は満足感と幸福感でいっぱいだった。やはり家族とは仲良くないと、心にわだかまりが生まれる。それが解消した今、晴れやかな気分だった。今ならなんでもできる気がする。
 という訳で、薬草学の帰りにセブルスに声をかけてみた。
「セブルス!」
「……なんだ?」
 セブルスは振り向いた。マルシベールたちは何やら怪訝そうな顔でこちらを見ている。
「……デスイーターになるって気持ちは今も変わらない?」
「ああ、変わらないが……」
「……デスイーターを目指さないなら、私があなたと付き合うって言っても、変わらない?」
 これは賭けだった。私のセブルスへ向ける感情は異性への好意ではなかったけれど、それでセブルスの目が覚めるのならそうなってもいい。もちろんセブルスがリリーのことを好きなことも知っている。ただ、私への好意も少しはあるのなら――可能性はゼロではない。
「え?」
 セブルスは眉根を寄せた。可能性はゼロだったとその顔は物語っていた。
「……何でもない。ごめん、忘れて」
 私はそう言ってその場を離れた。自分でも薄々気づいていたけれど、やはりダメだったか。勢いで何でもやるものではない。
 セブルスの心を取り戻すことは、どうしたってできないのだ。その事実を突きつけられた。いつの間にか涙が出ていて、ローブの裾でぐいと拭く。悔しくて、どうしようもなく悲しい。こんな感情は初めてで、自分でも驚く。ジェームズとセブルス。どちらかに寄り添わなければ、どちらの心にも近づけないのだ。私はジェームズを取った。その判断が間違っているとは思わない。間違っているのはセブルスの方だ。頭ではわかっているのに、私はどちらとも仲良くしたいと思ってしまう。けれどそれは叶わないことだ。
 中庭へと出る。六月のやわらかい風が吹く。ベンチに座れば気持ちは落ち着いた。仕方がないのだ。そう、仕方がない。私はジェームズとリリーを選んだ。それだけの話だ。
「……ナマエ?」
 落とされた声に顔を上げる。そこにはリリーが立っていた。
「どうしたの、なんだか顔色が悪いわ」
「……大丈夫。なんでもないから」
 そう言ったものの、リリーは心配しているらしく、隣に座った。
「何かあったの?」
「……セブルスは、デスイーターになるつもりだわ」
 リリーは驚かなかった。マルシベールたちとつるむということは、そういうことなのだ。
「なんとか阻止したかったけど、できなかった」
「……ナマエの気持ちもわかるけど、もう関わらない方がいいわ。スネイプはもう、私たちの知ってる人じゃないの」
 リリーはセブルスをスネイプと呼んだ。ずきりと心が痛む。リリーはもう割り切っている。セブルスはもう前のセブルスではないと。私も割り切らないといけない。
「……そうね、もう関わらないようにする」
「それが一番よ……ところで、ナマエは好きな人とかいないの?」
「なに、急に……」
「私ばっかりポッターの話してるから、ずるいと思って」
「いないわ、そんな人」
「そうなの? こないだスコットがナマエに告白したって聞いたけど」
「ああ、あれは知らない人だったから振ったわ」
「知らない人? かっこいいって有名じゃない!」
「一度も話したこともないのに好きになるなんてできないわ」
「……なんだかナマエの将来が不安になってきたわ」
「大丈夫、私は別に結婚とかもしなくていいと思ってるし」
「ふーん……」
 リリーは、「まあナマエの好きなようにしたらいいわ」と言って立ち上がった。じゃあねと手を振る。
 好きな人、と聞いて浮かんだのはなぜかセブルスだった。この気持ちは友愛であって、異性への愛ではない。何かの間違いだと、忘れることにした。

 ホグワーツ卒業後、リリーはジェームズと結婚し、子供をもうけた。そしてその子供ハリーは、リリーとジェームズを殺した例のあの人を、どういう訳か倒した。
 お祝いムードで溢れているダイアゴン横丁を、ダンブルドアと共に歩く。例のあの人がいなくなっても、私の心は沈んだままだ。最愛の兄と、親友を失った悲しみはどうしたって癒えない。ダンブルドアに連れられるまま喫茶店に入る。適当な席に座り、彼は口を開いた。
「……すまんな、こんなときに君を連れ出してしまって」
「……いえ」
 本当はダンブルドアは私の家でもてなすべきだった。けれど家事も何も手につかなくて、荒れた家を見てダンブルドアは私を外へと連れ出した。
「かえってよかったのかもしれません。あの家に一人きりでいると、どうしても考えてしまうから」
 ダンブルドアは目を伏せた。
「ジェームズとリリーは本当に勇敢じゃった……」
「はい……」
 沈黙が落ちる。先に話し出したのはダンブルドアだった。
「……君に頼みたいことがあって、君を訪ねたんじゃ」
「頼みたいこととは……?」
「ハリーがあと十年後にはホグワーツに入る。君もホグワーツの職員となって、ハリーを守って欲しい」
「私が、ハリーを……ハリーは今は?」
「リリーの姉であるペチュニアの家にいる」
「……私がハリーを引き取ることはできませんか?」
「それは残念ながら、できん……ハリーはリリーの愛で守られている。リリーの血縁の者の元で暮らすのが最善じゃ」
「そう……ですか……」
「……受けてくれるかね?」
「私にできることなら、何でもします」
 本心だった。不死鳥の騎士団としてマダム・ポンフリーとヒーラーをしていたが、それがまた役に立つのなら――ハリーならば尚更だ。
 ダンブルドアはにっこりと笑った。
「ありがとう。君の助けは大きい……セブルスも、ハリーを守るという任務に就く」
「セブルス!」
 はっと顔を上げる。同時にどうしようもない怒りが湧いてきた。
「セブルスが、例のあの人へ予言を教えたと聞きました……そのせいでジェームズたちは死んだ……!」
「……セブルスは後悔しておるよ」
 私とは反対に、ダンブルドアは静かに言った。
「後悔したところで、ジェームズたちは戻ってきません! 話は受けますが、セブルスとは話もしたくないです」
「君の気持ちはよくわかる……ただ、これはセブルスの贖罪の任務だとは知っていて欲しい」
「…………」
 無言でダンブルドアを見つめる。彼は相変わらずキラキラした瞳をしている。
「……わかりました。それは受け入れます。ですが私はまだセブルスを許せません」
「うむ、それでいい……」
 ダンブルドアは紅茶を一口飲み、立ち上がった。
「学期が始まる日に、特急でホグワーツへ来て欲しい」
「わかりました」
「では、また会おう……あんまり考え込まないようにな」
 そう言って、彼は去っていった。残された私はまだ立ち上がれない。セブルスへの怒りはまだ重く、心の中に残っていた。

 久しぶりに乗るホグワーツ特急は感慨深かった。ここでリリーとセブルスに会った。あの頃はこんな結末を迎えるなんて夢にも思っていなかった。飛んでいく景色を見ながら思う。リリーは亡くなり、セブルスはデスイーターになった。そして今日、彼と再会する――再会して、私は普段通り振る舞える自信はなかった。きっとこの怒りをぶつけてしまうだろう。
 ホグワーツに着き、荷物を持ってセストラルに乗る。久々に見るホグワーツに懐かしい気持ちが湧いてくる。階段をのぼり切ったところで、黒い影があることに気づいた。ベタついた髪、大きな鼻、血色の悪い肌。それがセブルスだと気づき、私は無視して通り過ぎることにした。けれど、後ろから呼びかけられてしまった。
「……ナマエ
 今度は無視するわけにはいかず、振り返る。
「……何?」
「君を案内するようダンブルドアに言われている……」
「案内なんて必要ないわ。私のよく知るホグワーツだもの」
「……君の部屋はわからないだろう?」
 確かにそうだ。私は癪だったけれど、任せることにした。隣に並ぶのも嫌だったから、セブルスの後ろを歩く。三階のとある一室へ案内されるまで、私たちは無言だった。
「……元気にしてたか?」
 荷物を下ろしたところで、セブルスが口を開いた。
「……元気ではないわ、誰かさんのせいで」
「…………」
「ダンブルドアがあなたを許しても、私はあなたを許さないわ」
「悪かった……本当に悔やんでいる……」
「謝られても、困る」
 一度思いを口にすれば、どんどんセブルスへの恨みが出てくる。
「ジェームズは、リリーはもう戻ってこないのよ! 悪いのは例のあの人だわ、でもあなただってその原因の一つでもある。どうしてくれるの? 兄を、親友を亡くして、その子供も引き取れなかった私は、これから何を糧に生きていけばいいの?」
 いつの間にか涙が頬を伝っていた。この男の前で泣きたくなどないのに。ぼやけた視界の中で、セブルスがこちらに近づいてきたのがわかった。
「な、何よ、来ないで……」
 そっと腰を引かれる。抱きしめられている。わかった瞬間、私は「離して」と手を突っ張った。けれどセブルスはビクともしない。
「……本当に、すまなかった」
 私は手を下ろした。その声が震えていたからだ。私は何も言えなかった。ずるい。そんな泣きそうな声を出されては、何も言えない。
 彼の背中に手を回す。今はもう怒りはなく、セブルスに対する同情があった。私たちはしばらくの間、抱きしめ合っていた。

 ホグワーツでの私の職務は、呪文学の助手だった。フリットウィック先生だけで十分授業は成り立つため、私はただ生徒たちを眺めているだけでよかった。授業が終わり、昼食をとりに大広間へ向かっていると、地下からセブルスが上がってきた。
「……ナマエ
 抱きしめられたときから、なんとなく気まずくて彼から逃げていたものの、呼びかけられては逃げ場がない。
「……セブルス。あなたも大広間に?」
「ああ」
 自然と隣同士で歩く。こうしてホグワーツで、大人になったセブルスと歩くのは不思議な気分だった。
「あなたが魔法薬学の先生になったのは意外だったわ。てっきり闇の魔術に対する防衛術かと」
「私もDADAがよかったが、ダンブルドアは何を思ってか魔法薬学に就かせた……どちらにせよ、出来の悪い生徒たちの面倒を見なければならんが」
「あなたのお眼鏡にかなう生徒はいるのかしら? 生徒いびりがすごいって噂で聞いてるけど」
 セブルスは鼻を鳴らした。
「……あんまりひどいとダンブルドアに怒られるかもよ」
「……私には私なりの教育論がある」
「ふーん」
 大広間のテーブルに着く。自然と隣同士に座る。お互い無言で食べていたが、終わる頃セブルスが言った。
「……今日の夜、私の部屋に来てくれないか?」
 急な誘いに私の心臓が音を立てる。
「えっ?」
「色々と話したいことがある」
「いいけど……」
「では八時頃来てくれ」
 セブルスはそう言い残して去っていった。何を言われるのだろう。不安な反面、どこか期待している自分がいた。どうして期待するのだろう。考えようとして、やめた。その感情を自覚すれば、今まで通りセブルスに接することはできなくなりそうだったからだ。
 夕食後、セブルスの部屋を訪ねると、彼は扉を開けてくれた。中は暗く、居心地の良い部屋だ。ソファに座るよう促されて座れば、セブルスは私の隣に座った。
「ハウスエルフからもらってきた、飲むか?」
 そう言って、ワインボトルを掲げる。私もいただくことにした。
 グラスを合わせて一口飲む。久しぶりにお酒を飲んだ気がした。
「……不思議な気分だわ。こうしてセブルスとワインを飲むなんて」
「そうだな……」
 セブルスはおつまみも貰ってきたらしく、チーズなどが机に並んでいる。
「……君は今も私を許さないか?」
「……もうその感情はなくなったわ。今は同情の方が大きい」
「そうか……」
 セブルスはワインを煽ると、こう切り出した。
「昔……デスイーターをやめたら君が付き合うって言ったことを覚えてるか?」
 羞恥で顔に熱が集まる。
「……覚えてるわ」
「実はあの時、心が揺れたんだ」
「えっ?」
「君と付き合えるのなら、デスイーターになるのをやめてもいいと思えた」
「で、でも、あの時セブルスはそんな様子見せなかった……」
「エイブリーたちがいたからな、本心を見せられなかったんだ」
「ウソ、だってセブルスはリリーのことを……」
「ああ、好きだった。けれどナマエのことも同じくらいに好きだった……」
 甘い言葉に頭がクラクラする。
「そんな、そんなこと言われても……」
「困る、か? 私は君を困らせてばかりいるな」
 セブルスは笑みを浮かべた。どことなく切なげな笑みに、私の心は揺れる。私も正直に話すことにした。
「前、リリーに好きな人はいるかって聞かれたの。その時浮かんだのがあなただった……でも私は幼かったから、勘違いだと思って忘れることにしたの。でも……あなたにそう言われて、喜んでる自分がいる」
 セブルスは目を見開いて、それから微笑んだ。
「……私は今もナマエが好きだ。こうして再会して、その想いが一層強まった」
「セブルス……」
 セブルスの顔が近づく。私は目を閉じる。キスの経験はないけれど、そうするのが自然だと本能でわかった。頬に手が置かれる。かさついた大きな手。骨ばったその手は細いけれど、もう少し太って筋肉をつけた方がいいなんて思わなかった。だってそれがセブルスだから。