マイナス100度のはつ恋

「……何の冗談だ?」
 私の決死の告白は、その一言で終わった。
「誰の差し金だ? ブラックか? ポッターか? 僕が騙されるような間抜けに見えたか?」
 スネイプは語気を強くする。違う、と否定すればいいだけなのに、私の口から言葉が出てこない。私の一世一代の告白を嘘だと捉えられたことも、スネイプがこんなに怒っていることもショックで、何も言えなくなってしまう。わざわざスネイプを手紙で呼び出したのに。二人だけの教室に、彼の冷ややかな声だけが反響する。
「軽々しくそんなことを口にする君も君だ。逆らおうとは思わなかったのか?」
「……わかった」
 スネイプの刺々しい言葉に答えず、ただ呟く。「は?」とスネイプは眉を上げたように見えた。視界は涙でぼやけていた。鼻をすすって、言う。
「スネイプの気持ちは、よくわかった」
 涙を拭って、私はその場から逃げるように出た。女子トイレが目に入り、すぐに個室に閉じこもる。
 誰もいないトイレで、私は思い切り泣いた。後で目が赤くなろうと、皆が心配しようと、構わない。この初めての恋は終わってしまったのだ。

 スネイプをなぜ好きになったのかと問われると、聡明でクールだから、としか答えようがない。
 気になり始めたのは、スリザリンとの合同薬学の授業からだった。スラグホーンは出来の悪い私を哀れに思ったらしく、スネイプと組まされた。不機嫌そうに調合する彼の隣で、私はわたわたと材料を切る。魔法薬学は授業内で薬を完成させなければならないので、私はいつも焦っていた。そしてニガヨモギを鍋に入れようとした時、「待て」と隣から声がかかった。
「……それを入れるのは右回りに攪拌させてからだ」
 スネイプはこちらを見ず、秤で材料を測りながら淡々と言った。私はその時、なんてクールなのだろうと思ってしまったのだった。
 スネイプが私のことを、何とも思っていないのは薄々気づいていた。そもそもグリフィンドールの私と、スリザリンのスネイプが交わることはない。交わるとすればリリーか、マローダーズだけだ。
 リリーはスネイプの幼なじみらしく、中庭で話しているのを見たことがある。スネイプの表情は穏やかで、彼の目には熱が込もっていた。彼がリリーを好きなのは明白で、私は嫉妬した。少しでもリリーに近づけないかと、勉強を頑張り、マクゴナガル先生に褒められるまでになったけれど、やはりスネイプはリリーだけを見ていた。私は彼しか見ていないというのに。
 OWLの日に彼らが決別したのは、私にとって幸いだった。私はそれを知ると、よく図書館に顔を出して、スネイプがいないか確認した。彼がいたら、わざわざその隣に座り、たまに小声で話しかけた。最初はわからないところを教えて貰っていたが、次第にデスイーターになるのか、などと彼個人への質問が増えていった。
 スネイプは呆れたような顔をしながらも、私との話に付き合ってくれた。だから私は勘違いしてしまった。仲は悪くないし、思いを伝えたら、もしかしたら上手くいくかもしれないと。
 その結果がこれだ。泣きたくもなる。

 ホグワーツを卒業した今なら、その敗因がわかる。それは、私がジェームズやシリウスたちと普通に話す仲だったということだ。もちろんスネイプをいじめる彼らは好きではない。けれど同時に4人とも、憎めない性格だった。ジェームズには、リリーとの仲を取り持って欲しいと懇願されたこともある。
 スネイプは勘違いしたのだ。ジェームズ達に命じられて自分に近づき、告白してきたのだと。スネイプの自己評価も低かったのかもしれない。
 いずれにしても、今では苦い思い出だ。初恋は実らない。雨の降る日は天気が悪い。
 なぜスネイプとの思い出を思い返しているのかと言うと、彼がなんと、魔法薬学の教師としてホグワーツに戻ってきたからだ。
「……久しぶり」
 朝食を食べる彼の隣に座る。スネイプはこちらをちらと見て、それからすぐに視線を食事へ戻した。
「……ああ」
「元気だった?って、聞くのも変か……元の職場が職場だしね」
「…………」
「私は元気よ」
 にっこりと笑うと、スネイプはフンと鼻を鳴らした。
「……君は相変わらずのようだな。聞きもしないのに勝手にベラベラと」
「よくわかってるじゃない。またこうしてスネイプと話せて嬉しいわ」
「…………」
 スネイプは無言でポリッジを掬っている。
「……ねえ、後で部屋まで行っていい?」
 するりと出た言葉に自分で驚いた。私はスネイプを前にして喜んでいるのだろうか。淡い感情がまだ心の中にあるとでもいうのか。
 スネイプはスプーンを置き、こちらを見ている。その目から感情は見えない。
 撤回するのもスネイプを意識しているようで変な気がして、相手の反応を待つ。スネイプはふっと目を伏せた。
「……好きにしろ」
 まさか受け入れてもらえるとは思わず、じっとスネイプを見つめる。再びポリッジを食べ始めた彼は、「なんだ」と眉を上げた。「なんでも」と首を振り、ゴブレットを持つ。
 知らず知らず口元が緩み、慌ててジュースを煽る。率直にいえば、嬉しかった。スネイプと再会したことも、彼が自分を拒絶しなかったことも。スネイプとどうにかなろうなんて、今更思わないけれど、あの頃のときめきが顔を出してきていた。

 部屋を訪れたのは、夕飯を食べたあとだった。
 スネイプの研究室は、前任者のスラグホーンの部屋とは様変わりしていた。まず部屋は薄暗く、所々にロウソクの明かりが灯り、空気の揺らぎで影はかすかに変化した。どちらかというと性格の暗い、スネイプらしい部屋だ。
「……あなたの趣味をそのまま持ってきたのね」
 感想を口にすると、スネイプは「私の部屋だからな」とソファに座りながら言った。私はその向かいに座る。
「手ぶらで来るのも忍びなかったから、厨房からワインとおつまみ持ってきた。飲みましょ」
 スネイプは眉を顰めながらも、杖を振ってグラスをふたつ出してくれた。もしかしたら飲む気でいたのかもしれない。彼の心は私には読めないから、その言動や行動で読み解くしかない。
 お酒を注いで乾杯する。それからは色々なことを話した。卒業した後のこと、今熱中している趣味のこと、魔法の理論のこと。私が一方的に話して、スネイプは相槌を打つくらいしか話さなかったが、まるで学生時代に戻ったような気がして楽しかった。
 だからこんなことを言ってしまったのだと思う。酔いも回ってきた頃、私はこう切り出してしまった。
「……私があなたに告白したの、覚えてる?」
 スネイプは少し目を見開いた。私がその話題を出したことに、驚いているようだった。そしてグラスに目を落として頷いた。
「……ああ」
「あなたは私がジェームズたちに言われて、罰ゲームで告白したと思ってたみたいだけど、それは違ったの」
 私はスネイプの反応を見るのが怖くて、ワインの表面を見つめながら言った。蝋燭の火でできた影が、赤の中に揺らいでいる。
 スネイプは無言だった。私は手元を見ながらこう続けた。
「……私は、あなたのことが本当に好きだった。でもあなたは、勘違いしてた……だから、ちょっと、ショックだった」
 いったい何年前のことを、今更スネイプに恨みがましく言っているのだろう。謝ろうと顔をあげると、スネイプは向かいにはいなかった。目の端に黒いローブが映り、そちらを見れば、彼は私の隣に座るところだった。
「スネイプ……?」
 スネイプは持っていたグラスをテーブルに置くと、こちらを向いた。その黒い瞳は私を見ていて、相変わらず読めない瞳だった。
「……すまない。あの頃の私は疑心暗鬼になっていた。君がポッターたちと仲が良かったから、そう思ってしまった」
 謝って済むとは思わないが、本当にすまなかった。
 スネイプはそう言って、頭を僅かに下げる。べたついた黒い髪が彼の顔を覆う。私は思わず、彼の頬に手を伸ばした。かすかに窪んだ、痩せた頬。
ミョウジ……?」
 スネイプの声にも、瞳にも、動揺があらわれていた。私はようやく彼の感情を引き出せたことに喜んだ。もっとスネイプが見たい。スネイプを知りたい。
「……ねえ、私、あなたの答えをまだ聞いてないわ」
 私の告白に対する答えを。
 スネイプは息を飲んだ気がした。そして私から逃れるように、目を伏せる。
「それは……言わないといけないか?」
「うん……あなたの口から聞きたい」
 それが良いものであろうと悪いものであろうと、私はすべて受け入れるつもりだった。
「私の答えは――」
 けれど、いざスネイプの答えを聞くとなると、やっぱり怖くなって、私はその口を塞いでしまった。自分の唇で。
 リップ音とともに離れる。スネイプは口を覆い、愕然としているようだった。
「な、何をする……!」
「……嫌だった?」
 まだ触れている頬を撫でながら聞く。スネイプは目を逸らした。
「……嫌ではない。が、私の答えを聞く前にキスするのは如何なものか」
「待てなかったの。私はスネイプが好きで好きで、今もどうしようもないくらいに好きだから、聞くのが怖くなって」
「あまりにも直情的だな……君は原始人か何かか?」
「何とでも言って」
 もう一度スネイプの口を塞ぐ。今度は長めに啄んでみる。するとスネイプの舌が入り込んできた。ワインの香りとともに口内をまさぐられ、吐息が漏れる。背中にスネイプの手が回り込み、ゆっくりとソファに倒される。
 唇が離れたところで、私はスネイプを見上げた。彼の瞳には心なしか熱が滲んでいる。
「……ねえ、私たちってもしかして、両思い?」
 スネイプは鼻で笑った。
「今気づいたのか。鈍いな、君は」
 私もくすくす笑って、スネイプの首に手を回す。スネイプは私を抱き上げ、自分の部屋への扉を開けた。
 恋に敗れたあの頃の私に教えてあげたい。スネイプはキスが上手で、暗いところが好きで、そして私のことも大好きだと。