愛というものはどうしようもない
ナナにとって、海砂は明るく眩しい太陽だった。
姉のナナと妹の海砂はよく似ているが、性格は正反対だった。大人しい性格のナナと、溌剌とした性格の海砂。両親の愛は、ナナと海砂、両方に平等に与えられた。彼らの愛を受け止めると同時に、ナナと海砂は彼らを愛した。仲睦まじい両親は、将来自分もこんな夫婦になりたいと目標にしたくなるような、素敵な夫婦だった。
しかし、幸せな毎日は長く続かなかった。
両親の家に強盗が入り、二人は殺された。ちょうど海砂が家に帰ったとき、犯人と居合わせた。運良く犯人は海砂を殺すことなく出て行った。そして運悪く、海砂は血に塗れた両親の死体を目にした。近所から呼ばれた警察と救急によって、海砂は保護された。
その頃市内で一人暮らしをし、大学に通っていたナナが呼び出された。椅子に座る彼女は顔面蒼白で、呆然と一点だけを見つめていた。初めて見る海砂の表情だった。
ナナは彼女を見て決意した。海砂をこれからずっと守りぬく。海砂を守れるのは自分だけだ、と。
引っ越し業者を手配し、海砂をすぐに自分のアパートに住まわせた。しばらくは、海砂は遠くを見てぼんやりとすることが多かったが、一ヶ月後には元の元気な姿を取り戻した。姉に心配をかけたくなかったのかもしれない。理由はどうあれ、ナナは胸をなで下ろした。
犯人――太村要一の裁判は予想外に長期化し、冤罪の見方まで出てきた。ナナはあまりこの話題を出さないでいたが、連日ニュースで取り上げられ、否応なく海砂の目にも入った。
その頃、海砂は髪を金色に染め、東京でモデルの活動をしていた。彼女の出ている雑誌、エイティーンを毎月読むのが楽しみだった。
海砂は、前を向きはじめていた。犯人の長期裁判は、彼女にとって悪影響だった。
いても立ってもいられず、ナナはキラへの殺人依頼ができる掲示板を開いた。掲示板の存在は、大学の友人から聞いていた。キラがこの掲示板を見ているかはわからないが、藁にもすがる思いだった。
ナナは掲示板にこう書き込んだ。『大切な人を殺した、太村要一を裁いてください』。
キーを打つ手は震えていた。殺人を依頼したという後悔が、後からやってくる。殺すまではしなくて良いんじゃないか。良心がそう問いかけてくるが、海砂のことを考えると、殺さなければならないと義務のように思った。
掲示板を見たのか、ニュースで見たのか。どちらかはわからないが、その晩、キラは太村要一を裁いてくれた。ニュース速報を見て、ナナは驚くと同時に心底安堵した。隣に座る海砂を見る。
海砂は、速報の文字に、目を大きく見開いていた。そして、ほっとしたように涙を零した。その口元には笑みも浮かんでいた。
「よかったね……」
「うん」
海砂の喜ぶ顔を見て、キラに勇気を出して依頼して良かったと、ナナは心の底から思った。
「お姉ちゃん、ミサ、キラに会いに東京に行く」
海砂がそう言い出したのは、太村要一が死んでまもない頃だった。今までどれだけモデルやアイドルの仕事が多くても、京都のこのアパートから通うことを止めなかったのに、海砂はあっけなくそう言った。
「キラに会いに行くって……どうやって会うの?」
困惑しながらも聞けば、海砂は笑みを浮かべた。楽しそうな笑みだった。
「内緒! 実はこないだからアパートも探してて、明後日から契約するんだ~」
いつの間に、この子は準備を進めていたのだろう。キャリーバッグに荷物を詰め込む彼女を、呆然と見つめた。守り抜くと誓ったこの子が、自分の知らないところへ行ってしまう。見守ることもできない。けれど、反対はできなかった。海砂に嫌われたくなかった。
海砂のやりたいことをやればいい。口は自然とそう言っていた。
海砂は、東京へ旅立った。ナナは毎日メールのやりとりをしたかったが、うざったく思われるのが嫌で、週に2回ほどメールを送った。返信はいつもすぐに返ってきた。元気そうな海砂を、テレビで見ることも増えた。仕事はうまくいっているようだった。
あるとき、活動を休止すると言って、ぷつりと彼女の姿が途絶えたときがあった。メールするも連絡がつかず、ナナは心配した。彼女のアパートの住所は教わっていたため、訪ねたこともある。しかし海砂は不在で、誰も出てこなかった。
二ヶ月ほど経ったある日、海砂からやっと返信が来た。ロケで携帯が使えなかった、ということだった。海外に行っていたらしい。携帯も使えないほど過酷なロケだったのか。何はともあれ、ナナは海砂の無事に安堵した。
それから少しして、海砂からメールが届いた。なんと、東応大生の彼氏と同棲しているということだった。メールには、京都へ彼と来る具体的な日にちが書かれていた。その日は仕事もなく、すぐにオーケーする。海砂の彼氏。高校の時は、度々彼女と彼氏が歩いているのを目撃したりしたけれど、自分たちに会わせることはなかった。今の彼氏とは、それだけ将来を考えているということだろう。
当日の服装は、白のワンピースを着ていくことにした。待ち合わせ場所のカフェにつく。まだ早かったため、二人の姿はなかった。コーヒーを飲みながら、海砂たちを待つ。海砂に早く会いたい気持ちと、彼氏に会いたくない気持ちが相反していた。
ふと、自動ドアが開いた。海砂と、背の高い男が入ってくる。海砂は彼と腕組みをしていた。
「お姉ちゃん、久しぶり!! この人がミサの言ってた彼氏だよ」
上機嫌に紹介する海砂に、隣の男は軽くお辞儀した。
「はじめまして、夜神月です。月と書いて、ライトと言います」
彼は、とてつもなく整った顔立ちをしていた。そして、聡明な空気を漂わせている。海砂が好きになるのもわかる気がした。
席に着き、海砂、月、ナナの三人で、とめどなく話をした。月は頭が良く、コミュニケーション能力も高かった。初対面の自分にも、よく話を振ってくれる。
――できすぎている。
ナナは彼に対して、そんな印象を持った。抜け目がなく、細やかに会話を拾う。口元に浮かぶ笑みは絶やさない。
喫茶店を出て、月のために京都市内を案内しているときも、ずっと、その印象は離れなかった。別れ際、海砂だけを呼んで、ナナは尋ねた。
「月さんに、何か利用されたりしてない?」
冗談のように、笑いながら聞いたつもりだった。しかし海砂は、みるみるうちに真顔になり、こちらを睨んだ。
「利用されてるわけないじゃん。なんでそんなこと聞くの?」
「いや、ちょっとした冗談だよ。それならいいんだ」
彼女の表情でわかった。海砂は、月に利用されていると。
それからというもの、海砂は自分に会いに来ることも、メールをくれることもなくなった。一度メールで理由を聞くと、やはり別れ際に聞いた言葉が原因だった。もう、自分とは会いたくないし、話したくもないと返信を貰った。ナナは、完全に拒絶された。
今思えば、自分が強引に間に入って、海砂たちの仲を引き裂けば、こんなことにはならなかった。海砂の墓を見つめながら思う。夜神月が死に、海砂はその後を追った。飛び降り自殺だった。
自分は彼女を守り切るべきだった。そう誓ったはずなのに、何もできなかった。悔しさとふがいなさが襲う。
――ごめんね。私が海砂をずっと見守っていれば、こんなことにはならなかったね。海砂のために太村要一を殺さなければ。海砂が上京するのを止めておけば。こんなことにはならなかった。
謝って済むとは思わない。けれど、ナナはこれからも彼女に謝り続けることしかできない。海砂への罪悪感を、少しでも減らすために。