そして嘘は嘘だ
2003年12月31日
「キラを捕まえないといけないんです、どうしても」
鈴木ナナは言った。
「キラが悪だってことを、世の中に知らしめないといけないんです」
向かいに座るLは身じろぎもせず、彼女のまっすぐな視線を受け止めていた。その目には何の疑念も、不安も、恐怖もなかった。
鈴木については事前に調べている。京都で小中高を過ごし、大学は京土大学に進んでいる。新卒で本庁に勤務する彼女には輝かしい未来が約束されているだろう。
――本気で言っているのか……?
Lは眉間にしわを寄せた。そしてこう質問した。
「……キラを捕まえる理由はそれだけですか?」
鈴木は首を振った。
「いえ。もちろんこのまま殺人を許すわけにはいけない……キラはただの大量殺人鬼ですから」
鈴木はそう言って、微笑んだ。その笑みは「当然のことを言っただけ」という、自嘲にも似た影があった。
彼女の回答を聞いても、Lの感じる違和感は拭えなかった。まるで鈴木はそう答えるのが人間として、刑事として当然の回答だと示しているかのような――本人はまったくそう考えていないかのような、演技めいたものがあった。ただ瞬きをひとつすると、彼女の笑みは消え、先ほどと同じ真剣な顔つきになっていた。
――……考えすぎか?
Lは「わかりました、もう結構です。ありがとうございました」と話を打ち切った。部屋を出て行く彼女の後ろ姿を、指をくわえたまま見つめる。
捜査員全員に行ったテストに、鈴木だけは合格していた。キラであるかどうか確かめるトリックも、彼女にだけは仕掛けた――結果鈴木はキラではなかった。
キラを捕まえたい理由を聞いたのは、単なる気まぐれだった。将来有望な若い彼女が、命を賭してまでキラを捕まえたい理由を知りたかったのだと思う。ただ、その理由はあまりに陳腐だった。優秀であるはずの彼女の口から出た言葉には思えず、違和感を感じた。
――もし、本気でそう思っているのなら。
理由があるはずだ。キラを持ち上げる風潮があるのは事実。それを覆したいということは、キラが正義だと認めたくないからか。あるいは――目を覚まさせたい者がいるのか。鈴木の身辺を洗っておいてもいいだろう。
Lは肘掛け椅子から立ち上がり、捜査官たちの待つ部屋のドアノブをつかんだ。
2004年4月23日
――なんだ?
夜神月は捜査本部であるホテルの一室に入った瞬間、リュークがクククと笑ったことに気をとられた。しかし、「ありがとう、夜神くん」と流河ことLに声をかけられ、すぐに辺りに意識を集中させる。戸口には父含め四人の捜査官らしき人物がいた。
「ここでは「竜崎」と呼んでください」
「芳野です」
「松井です」
「相原です」
「そして私は朝日だ……」
皆仮名ということか。一人だけ女性がいることに驚きながらも、「じゃあ僕は「朝日月」でいいかな?」と竜崎に問いかける。
「それでお願いします。私もここでは「月くん」と呼ぶことにします」
月は第二のキラを名乗る者からのビデオを見せられ、その返答としての原稿を任された。原稿が完成し、テレビで放映した頃には二〇時を回っていた。
「月くん、いったん帰っていいですよ。家族の方が心配しますし、また明日学校帰りに来ていただければ」
「……ああ、わかった」
月はホテルから出て、行きと同じくタクシーに乗った。家に着き幸子と粧裕に「ただいま」と挨拶した後、自室のドアを閉める。「ふう」と自然と口から息が漏れた。シャツを脱いでいるとリュークが言った。
「まさか本物のキラ役で原稿を書いてくれなんてな、月のことかなり疑ってるぞ」
「そうだな……そういえば、部屋を開けたときリューク、おまえ笑っただろ? あれ、なんで笑ったんだ?」
リュークは再び喉を鳴らすと、「それは教えられない」と首を振った。
「リンゴ一〇〇個あげるっていってもか?」
「それは……かなり魅力的だが無理だな、何も言えない」
「そうか」
月は特に気にせず部屋着を手に取った。リュークはLを前にしても笑わなかった。彼が笑ったのは捜査官たちと対面したときだった。ならば、捜査官のうちの誰かが、このノートに関わっているのか――。
月は考えるのをやめた。考えても仕方がないし、何より今日は疲れた。しかし、その情報は忘れてはならない気がした。
2004年5月22日
弥海砂はNOTEBLUEの手前にある喫茶店で、キラが現れるのを待っていた。この日のためにおかっぱのウィッグと制服、伊達めがねを準備していた。メイクもいつもより薄くしてある。ミサミサを知っている誰かが、今の自分を見たところで絶対に本人だとわからないだろうという自負があった。その証拠に、自宅から出てから今まで、声をかけられたことは一度もない。
「みっけ」
目当ての者がウインドウ越しに現れ、海砂はめがねを上げた。「夜神月」――月と書いてなんと呼ぶのだろう。かっこいい人でよかった。もうここには用がないと、椅子から立ち上がったところで、彼の集団の後ろにいた女性と目が合った。
――ん?
「鈴木ナナ」――彼女もまた寿命がなかった。鈴木ナナはこちらに微笑んだ。その笑みはすべて見通しているかのような、目が笑っていない、ぞっとする笑みだった。海砂は肌が粟立つのを感じた。鈴木ナナはふっと前に目をそらし、集団とともに去って行った。
海砂は、ようやく息ができた。誰がキラなのか、などどうでもよくなっていた。逃げなければ、と本能的に思った。鈴木ナナがキラだとしても、関わってはいけない人間だと頭の中で警報が鳴り響いていた。海砂は走るように喫茶店を出た。
2004年5月25日
松田が休憩室に入ると、鈴木が腕組みしながらテレビを見ていた。毎週火曜日にやっている『キラ王国』という番組だった。鈴木は松田をちらと向くと、チャンネルを変えた。
なぜ『キラ王国』を見ていたのか、松田は気になったけれど尋ねることはできなかった。鈴木は自分とは――自分以外の者とも一線を引いていた。最初こそ仲良くなろうと、プライベートな質問もいくつかしたが、鈴木は曖昧に濁した。松田の下心を見抜いていたのかもしれないし、仕事上で無意味な馴れ合いはしたくないのかもしれなかった。
変えられたチャンネルではニュースが流れていた。第二のキラ騒ぎは収束しているようだった。松田は鈴木から離れたソファに座った。
「……第二のキラ、あれから音沙汰なくなりましたね」
黙っているのも気まずく、松田は言った。鈴木は後輩だが、彼女を前にすると自然と敬語になってしまう。
「そうですね……鑑識の結果大阪に住む吉田美枝が割れましたが、彼女は何も知らなかった。弥海砂に指示されてやったと証言してるので、弥海砂が確保されるのも時間の問題でしょう。弥海砂はご存じでしたか?」
鈴木がこちらを向いた。そのアーモンド型の瞳に、松田はどきりとしながらも答えた。
「もちろん知ってますよ! ミサミサは深夜番組にも最近出てましたね」
「そうなんですね」
鈴木は頷くと立ち上がった。自分から聞いておいて、弥海砂にはあまり興味がないようだった。「松田さん」とドアノブをつかんだ彼女は振り返る。
「弥海砂から、本物のキラが見つかるといいですね」
2004年5月31日
弥海砂はキラの名を吐いた。そして人殺しの方法も。
夜神月は逮捕に抵抗し、最終的に死神によって殺された。処理に追われる捜査官の中から、Lは鈴木を一人、誰もいない部屋へ呼び出した。
「何でしょう、こんなときに……」
鈴木はなぜ呼ばれたかわからない、というように眉を顰めていた。
「鈴木さん、あなたが弥海砂を確保する前に、弥と話をしたのはわかってます」
肘掛け椅子に座るLは、そう言って鈴木を見上げた。鈴木はますます眉根を寄せた。何を言っているのか分からない、という演技をしているようだった。Lは再び口を開いた。
「――魅上照、を知っていますね?」
その名を口にした瞬間、鈴木の目に光が宿った。彼女の返答を待たずにLは言う。
「あなたが小中高大と、一緒だった男性です。今は検事で、そしてキラ信者でもある……彼の身辺を調べたところ、不思議なことがわかりました。魅上照の周りの者が、不自然なほど亡くなっている」
鈴木は無表情だった。Lは立ち上がり、彼女の方へ歩き出す。
「その者たちは、お世辞にも善良な人間だとは言えなかったようです。いじめもあったと聞いてます。正義感の強い魅上照は、そのたび被害者をかばい標的になっていたと……鈴木さん、あなたが殺したのではないですか?」
今度は鈴木を見下げるかたちになる。鈴木は下を向いていて、表情はわからなかった。
「……今回の殺人の手口を聞いて確信しました。そのようなノートが複数存在する可能性はある。今よりも前にノートを所持していた者もいるかもしれない。そして名前が書ければ、だれでも簡単に殺せる――持ち主が子供であろうと、殺せてしまう」
鈴木はLを見上げ、そしてふっと笑った。イタズラのバレた子供のような笑みだった。
「正解です。さすが名探偵ですね……でも逮捕は待ってください。会いたい人がいるんです」
「魅上照ですね?」
鈴木はうなずいた。Lは捜査官を同行させることを条件に、それを許した。
2004年6月2日
彼女から会いたいと連絡が来るのは初めてだった。たまたま研修が東京であったため、照はナナと会うことを了承した。
ナナが予約したという居酒屋で、彼女の名前を出せば個室に通された。ナナはその黒塗りのテーブルに座っていた。
「……久しぶり」
微笑んだ彼女に、懐かしさが蘇る。
「久しぶりだな、ナナ。変わりはないか?」
「私は痩せたかも。長期の捜査があって、疲れちゃった」
「その捜査は、区切りがついたのか?」
「うん、まあ」
ナナは曖昧に頷いた。「何に致しますか?」と明るい声でやってきた店員に、生ビールをひとつとウーロン茶をひとつ、そして唐揚げなどの料理をいくつか注文する。店員が去った後、ナナは口を開いた。
「もっと高いとこでもいいかなと思ったんだけど、人の声が多い方がよかったから、ここにしちゃった。ごめんね」
「いや、ナナの好きなところでいい」
それからは取り留めのない会話をした。入庁した先の上司が頼れること、京都に戻れば仕事が山積みであろうこと、そしてキラのこと。
「最近はキラの裁きを聞かない……キラは捕まったのか?」
三杯目のビールを飲むナナは、「さあ、どうでしょう」とにっこりと笑った。
「捕まったとしても逃げたとしても、どのみちキラは人であって、正義なんかじゃなかったんだね」
照は反論しようとしたが、ナナは遮った。
「そんなことより、照にプレゼントがあるの」
プレゼントという言葉に驚き、照は口を噤む。ナナは自分の鞄から青の包装紙に包まれた何かを取りだした。
「ちょっと早い誕生日プレゼント。開けてみて」
照はゆったりとしたリボンを解き、中を開けた。それはネクタイピンのようだった。暖色の照明の元、銀色に光っている。ナナからプレゼントを貰うこと自体初めてで、照は戸惑ってしまう。
「……ありがとう。大切にする」
「ちゃんと、使ってね」
ナナの声は震えていた。はっと彼女を見ると、泣いていた。はらはらと、静かに涙を零していた。
ナナが泣いているところを見るのは中学生以来だと、照はぼんやりと思った。あれは母と加害者たちが亡くなったあとだった。あの時は、彼女はひたすら「ごめんなさい」と謝りながら泣いていた。照はなぜナナが謝るのかわからず、困ってしまった。今もそうだ。
「……どうした?」
声をかけてみるも、ナナは首を振った。
「なんでもない……けど、照には幸せになってほしいなって……」
照は口を開いたが、言葉が出てこなかった。ナナが続ける。
「私じゃ、照を幸せにはできないから……」
「何を言ってるんだ……?」
ナナは涙を指で拭き、柔らかく微笑んだ。
「全部私の独りよがりなの。照を幸せにしたいと思った。ただ、それだけなの……照は光だから、私は影になろうって決めた。そこからおかしくなったんだろうね」
こんな話してごめんね、でも最後だから。
ナナは呟くように言う。照と向き合っているようで、ナナは違うものを見ているようだった。自分ではない、なにか別のものに話しているかのようだった。それはおそらく、ナナ自身だった。
照は無言で、彼女が落ち着くのを待った。ナナの涙はしばらくして止まった。ハンカチで目を押えながら、ナナは恥ずかしそうに笑った。
「急にごめんね、何なんだろうね、私……」
「いや」
そろそろ出ようか、と照は言い、ナナは頷いて立ち上がった。伝票をレジに渡し、会計する。
「ここは私奢るよ」
「いや、私が奢る。男性が奢るのがマナーなんだろう?」
最近同僚から教わった知識を言えば、ナナは驚いたように目を丸くし、それからくすりと笑った。
「……照のそういうとこ、好きよ」
帰り際はいつものナナに戻っていた。照はそのことに安心しながら、手を挙げた。
「……じゃあ、また」
「うん、ありがとね」
「ああ」
自分達と同じように、飲みに繰り出している者達の間を通り抜ける。喧騒を後にしながら、照はぼんやりと考えた。ナナはなぜ、あんなことを言ったのだろう。彼女が感情的になること自体珍しいことだ。捜査のストレスもあるのだろうが、あの言い方はナナが何か、してはいけないことをしたような、そんな言い方だった。
ちらと振り返れば、ナナはまだ店の前に立っていた。店の提灯の明かりで、顔が半分赤く照らされている。こちらを見て、また泣きそうな、それでいて笑っているような、複雑な表情をしていた。
それが、照の見た最後のナナの姿だった。
20251122