新宿に行きたいです。
エルがそう言ったのは、日曜日の午前のことだった。どうして行きたいのか、聞こうとしたが、彼の表情を見てやめる。切羽詰まったような、思い詰めた顔をしていた。
電車を乗り継ぎ、新宿に着く。数々の高層ビルが
透桜子たちを出迎えてくれる。たくさんの人々が、目の前を通り過ぎてゆく。都心の人々は、常に何かに急かされている。
透桜子はあまり新宿には来たことがなく、地理を知らなかったが、エルは知っているらしく、おもむろに歩き出した。ジーンズのポケットに手を入れ、スニーカーでずるずると歩く猫背姿を追いかける。歩を合わせてくれているのか、エルはゆったりとした足取りだった。
「新宿の、どこに行きたいの?」
「……西新宿に行きたいです」
確かに新宿駅西口から出たので、西へ行きたいことはわかっていた。具体的な場所を知りたかったが、漠然と答えたということは言いたくないということだ。そう思い、何も聞かなかった。
数々の高層ビルを通り過ぎ、一〇分ほど歩くと大きな公園が見えてきた。エルは、公園とは反対の通りを見つめた――いや、見つめたというより、見上げたというほうが正しい。そこには、高級ホテルがあった。ちょうど黒塗りのリムジンがホテルに入り、ドアマンが出迎えている。その様子を眺めていると、エルはポケットから右手を出し、そのホテルを指した。
「……ここに、私の建てたビルがあったんです」
思いがけない言葉に、「え?」と反応する。エルはホテルを見上げたまま言葉を続けた。
「キラ事件の捜査本部として、ここにビルを建てました。私と数名の警察と……キラたちが、そのビルで寝泊りし、事件を捜査していました」
「前にも言ってたけど、その、『キラ』っていうのは……?」
キラの意味はまだ聞いていなかった。
「犯罪者を狙った大量殺人事件の、犯人のことです」
「犯人……? どうして犯人と捜査することになったの?」
「話せば長くなります……ここに座りましょう」
エルの指したベンチに、並んで座った。エルは、キラ事件について時系列順に教えてくれた。ICPOから依頼を受ける前から、事件に関心があったこと。テレビを通してキラが日本の関東地区にいると特定したこと。キラが死の時間を操れるとわかったこと。キラは捜査本部の関係者と考え、極秘にFBIに捜査官を要請し、捜査本部関係者の尾行をさせたこと。結果として12人全員がキラに殺されたこと。尾行していた捜査本部関係者の一家に監視カメラを仕掛けたこと。夜神月という、警視庁刑事局局長を父に持つ高校生を怪しく思い、彼の入学する大学で接触したこと。第二のキラが現れ、彼を捜査本部に招待したこと。第二のキラが、弥海砂というモデルと特定したこと――。
まるで、小説を読んでいるかのような、
透桜子の世界とはかけ離れた話だった。犯罪者が皆死んでいく。この世界でそんなことが起きたらと、想像するだけで肌が粟立った。
エルは、捜査員たちを死なせてしまったことを悔やんでいるようだった。
「FBI捜査官だけでなく、宇生田さんという捜査本部の方も、死なせてしまいました」
何を言っても慰めにならないような気がして、無言で彼の言葉を受け止める。
「第二のキラのテープが最後まで中断せず放送されるまで、第二のキラがさくらTVを見張っている可能性はあった。なのに、そこまで考えられず彼を止められなかった……私の責任です」
本部を指揮する者としての責任。彼はそれを十分すぎるほど負っていた。
エルの横顔は悔し気で、同時に寂しそうでもあった。言葉をかけられない自分が、不甲斐なかった。
二人は、しばらく無言でホテルを――エルの世界にあったというビルを、見上げていた。
お昼は、近くのカフェにした。前々から携帯で調べて目をつけていたお店だ。高そうだとエルは言ったが、強引に入った。美味しいものを、エルに食べてほしかった。
エルと外食するのは初めてだと、席に着いてから気づいた。向かいにいるエルは、お店でもいつもの座り方をしている。エルのこだわりは揺るがない。
店員を呼び注文する。自分はペペロンチーノ、エルはガトーショコラ。この店で有名なケーキだ。
キラ事件の話を先ほど聞いたため、なんとなく、何を話したらいいか迷ってしまう。話はまだ途中のようだったが、彼がそれ以上話すことはなかった。いつか、話してくれるだろうか。
考えている間に、注文していた料理がテーブルに乗せられる。
「ごゆっくりどうぞ」
店員の明るい声が、心地よく耳に入った。食べることに集中しようと、フォークを持ち、パスタを丸める。
「……
透桜子さんは、趣味などはありますか?」
先に、エルが口を開いた。当たり障りのない、空気を変えるための質問。
趣味は――ある。友達には地味すぎると笑われ、初対面の人は反応に困る、そんな趣味。だけどエルなら、すんなり受け止めてくれそうな気がした。
「趣味は――日記を書くこと」
「日記?」と、ガトーショコラを食べながら、エルが復唱する。何でもないように言うその声に、
透桜子は肩の力を抜いた。
「毎日日記をつけるのが、自分にとって大事な時間なの。自分と向き合えるし、生きた証を残せるというか」
お金のかからない、ささやかな趣味。エルは笑うことも、困ることもなく、ただ「素敵な趣味ですね」と頷いた。それが本心かどうかは、エルの声音からはわからなかった。
「私が読むことはできませんよね?」
突拍子のない質問に、頬が緩む。
「できないかな、私の赤裸々な気持ちが綴ってあるから」
「そうですよね」とわかっていたようにエルが頷いた。
「読みたかった?」
「いえ、別に」
単純に話がしたかっただけなのだろう。会話を広げた後で、エルは自ら終わりにした。彼のおかげで空気が変わり、話しやすくなったのは事実だった。
「せっかく新宿まで来たんだし、御苑にでも行ってみない?」
提案してみると、エルは「そうですね」と賛同してくれた。
店から歩いて新宿御苑に向かう。今日も曇り空で、晴れ間は見えない。雨が降っても、折りたたみ傘を持っているため、安心だ。
休日と言うこともあり、新宿御苑には多くの人の姿があった。噴水が上がる池の周りを、皆のんびりと散策している。都心の中の休める場所、という印象だ。
七月に入っていたが、まだ咲いている紫陽花は多かった。夜に雨が降ったため、花弁や葉がつやめいている。
透桜子の好きな、情景だった。携帯のカメラを起動し、紫陽花を撮る。
「スマートフォンのカメラは、やっぱり画質が良いんですか?」
急にエルがのぞき込んできた。驚きながらも、答える。
「ガラケーと比べたら、断然いいよ。画質的には、一眼レフと大差なくなるかもって言われてる」
「そうなんですね」とエルは撮影した紫陽花を見ながら頷いた。
「あっ、カタツムリ」
近くの紫陽花の葉に、カタツムリがついていた。のっそりと進む姿が可愛らしい。エルはカタツムリに近づき、人差し指を咥えながら彼の動きを見つめる。何を思っているのかはわからない、無表情だ。
透桜子はカタツムリを撮る振りをして、エルの横顔を撮った。その無表情が、彼の特徴のように思えた。
エルはシャッター音にこちらを向いた。
「今、私を撮りましたか?」
「ううん」と首を振る。急に、エルを撮ったことが恥ずかしく感じた。
「カタツムリを撮ったんだよ」
「……そうですか」
エルはそれ以上聞かず、ゆっくりと歩き出した。
透桜子は彼を追いかける。すれ違う人々に、自分たちはどう見えているのだろう。ふと、そんなことを思った。
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