番組テーマのギターの音で、先ほどまで和やかだったスタジオの雰囲気が一変する。そのひりつくような緊張感は、舞台袖にいたナナにも伝わった。男性の声が番組名を告げる。張り詰めた空気に飲まれそうになり、両手を胸に置き深く息を吸って吐く。大丈夫。これまで限界以上のことを自分はやってきた。できるようにもなった。その成果を世間に披露する時が今。
『いつも通りのナナさんでいてください』。竜崎は楽屋でそうアドバイスをくれた。竜崎の言葉には説得力がある。彼に初めて会った日から、そう感じていた。人を落ち着かせる力を持っている。低く耳障りのいい声をしているからか。

佐藤ナナー!」

 男性のアナウンスが響く。きらびやかな世界に一歩踏み出す。一斉に沸き起こる拍手と、眩しすぎるほどのライトが浴びせられる中、背筋を伸ばして階段を下りた。自分の運命がかかっているのだ。縮こまってはいられない。いつもはあまり履かないヒールも、姿勢をよくするのを手伝ってくれているようだった。
 階段の下に出演者が集まると、タモさんが一人ずつ紹介していく。有名なバンド、今を時めく男性アイドル、巷で噂のシンガーソングライター。錚々たる顔ぶれだ。そして、ついにナナの番が来た。

佐藤ナナ、よろしくお願いしまーす」

「よろしくお願いします!」

ナナは深く頭を下げた。アナウンサーが補足する。

「今回初出演の本格派アイドル! 話題の新曲を披露していただきます!」

 色々話したい気持ちはあったが、ADのカンペには『あと10秒』と書かれている。ナナは簡潔に言った。

「精一杯頑張ります!」

「では早速、今夜の1曲目に参りましょう!」

 アナウンサーが歌手と曲名を紹介し、スタジオは暗転する。曲が流れ始め、ナナたちは階段のような広い椅子へと移動した。

「緊張してる?」

 隣から声をかけられ、そちらを向くと、流河早樹が座っていた。暗がりで彼の顔がよく見えないことに、ナナは安堵する。この至近距離で整った顔を見てしまうと、緊張がぶり返してしまう。

「さっきまでは緊張してましたが、今はしてないです。覚悟を決めました」

「おお、すごいね。大物の器だよ」

 大げさな流河の言葉に、笑みがこぼれる。

「ふふ、そんな大したものでは……流河さんは初めての出演、緊張されましたか?」

「僕はもう緊張しっぱなしさ。今もまだ慣れない」

 流河はそう言って、モニターへ目を向ける。大スターである流河早樹が、いまだに緊張するなど信じられなかった。深く聞きたかったが、彼はすでにナナを見ていない。人に聞かれたくないことは、誰にでもある。ナナも同じく前を向いた。
 話題の新人枠であるナナは、早い段階でタモさんの隣に座ることになった。

「まずはこちらをご覧ください!」

 アナウンサーの言葉で、VTRが流れ始める。歌って踊れる本格派アイドルとして、新曲のPVが編集された映像になっていた。有名な監督に撮ってもらった、斬新で個性的なPVだ。一見穏やかで柔らかい世界だが、大人へ変化しようとする少女の危うさがところどころにちりばめられている。ナナもとても気に入っているPVだ。VTRが終わり、再びスタジオに戻る。タモさんがマイクを持つ。

「一人で活動してるなんて、今時珍しいねえ」

 ナナは笑顔で答える。

「はい、よく言われます」

「最初から一人なの?」

「そうです、80年代のアイドルにあこがれて、この世界に入りました」

「へえー、若いのに渋いねえ」

 ははは、とタモさんが笑ったところで、アナウンサーが口を開いた。

「準備ができたようですね……では、スタンバイお願いします!」

 はい!、と気合を入れて立ち上がる。竜崎の言った通り、タモさんが話を振ってくれ、自分は応えるだけだった。あとは、いつもの自分を見せるだけだ。リハーサルのときと同じく、セットの中は雲に見立てた白い大きな綿がたくさん浮かんでいた。スクリーンにはカラフルな色が鮮やかに映し出される。自分のためだけに作られたセット。数台あるカメラの奥の物陰で、井上がこちらを見守っているのが見えた――結果を出さなければ。両手を胸に当て、もう一度深呼吸する。

「では参りましょう。佐藤ナナさんで、『ひつじ雲』」

 バックバンドが、何度も何度も聞いたイントロを奏でてくれる。マイクを持ち、軽やかにステップを踏む。スカートのフリルがリズムよく揺れる。無機質なカメラの向こうにいる、何百万人もの人々に笑みを向ける。こうして踊っている姿を見て、みんなが元気になりますように。大好きなアイドルに、自分が元気をもらったように。
 そろそろ歌が始まる。ナナは深く息を吸った。

ナナちゃん、すっごくよかったよ!!」

 番組が終わって楽屋に戻ると、井上が興奮気味に迎えてくれた。少し戸惑いながらも中に入る。

「ありがとうございます」

「可愛くて、でもかっこよくて……こんなナナちゃん初めて見た! それもこれもみんな竜崎さんのおかげだ!」

 井上は奥へ目を向ける。竜崎は、いつもの格好でケーキをつついていた――スタッフの差し入れではなく、持参したものだと思う。

「りゅ、竜崎さん、どうでしたか?」

 緊張しながら問いかけると、竜崎は咀嚼しながらこちらを見上げた。

「とても良かったです。歌もダンスも平均以上だったと思います。ナナさんのキャラがもう少し出てれば尚よかったですが、これは後のバラエティのために取っておきましょう」

「わかりました!」

 力を出し切り、終わったような気がしていたが、確かにこれで終わりではない。売れるためにはキャラも大切。気を引き締めていかないと、と拳をきゅっと握りしめた。



 Nステに出演した反響は大きかった。ヤホーニュースのトップにもなり(彗星の如く現れた、新生アイドル佐藤ナナの謎)、世間ではナナのバックにどんな大物がついているのか議論された(初ライブが武道館なんて、皆疑問に思うに決まっている)。しかし、そんな謎めいた雰囲気を持ちながらも、バラエティでは天然発言が多く、そのギャップに萌えた人々も多かった。
 そうしてナナは着々とファンを作っていき、武道館ライブ当日を迎えた。
 午前中のリハーサルを終え、楽屋で休憩していたところ、ノックの音がした。はい、と返事すれば、竜崎です、と返答が返ってくる。どうぞと言って、慌てて立ち上がった。中に入って来た竜崎は、お疲れ様でしたとナナに挨拶する。

「リハーサル、素晴らしかったです。チケットの売れ行きも好調だったので、この調子でいけば成功するでしょう」

「ありがとうございます。みんな、竜崎さんのおかげです……本当に、ありがとうございます」

 竜崎がいなければ、武道館に立つことも、ファンを増やすこともできなかった。感謝を込めて、ナナは深々とお辞儀する。予想に反し、竜崎は首を振った。

「私はお膳立てしたまでです。ここまで来れたのはナナさんの実力があってこそです」

「そんなことは……私は竜崎さんがいてくれたおかげで、ここまで来ることができました。本当に感謝してます。そうだ、竜崎さんに……」

 床に置かれた鞄からチケットを取り出し、彼に渡した。

「これ、竜崎さんとワタリさんのチケットです。関係者席を用意しておきました」

 しかし、竜崎は受け取らなかった。

「……いえ、私たちは見られません」

 えっ、と思わず声を上げる。

「どうしてですか……?」

「溜まっている仕事が多いんです。リハーサルだけでもと思い時間を割きましたが、もうそろそろ帰らなければなりません」

「そう、なんですか……」

 仕事ならば仕方がない。竜崎には絶対に見てほしかったのだけれど。食い下がれるわけもなく、諦めてチケットを鞄に戻した。

「では、私は行きます。ナナさん、頑張ってください」

 言って、竜崎は背を向けようとする。もう、竜崎と会えないかもしれない。そう感じたナナは、鞄に入っていた自分の名刺を取り、急いで裏にプライベート用の電話番号を書いた。

「ま、待ってください!」

 立ち止まった竜崎に、ナナは名刺を渡す。

「これは……ナナさんの電話番号ですか?」

「はい……もし私にできることがあったら、連絡してください。私も、竜崎さんの力になりたいんです!」

 竜崎は驚いたようにこちらを見つめ、そして頷いた。

「……わかりました。ナナさんの力を借りたくなったら、連絡します」

 お願いします、と再度深々と頭を下げる。では、と竜崎は今度こそ楽屋から去っていった。
 自分が力になれることなど、ほとんどない。そう思いながらも、言わずにはいられなかった。連絡が来ることはないかもしれない。それでも。再び竜崎と会えることを期待している自分がいた。

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 武道館ライブは大成功をおさめ、ナナはあの夢をもう見なくなった。きっと竜崎も、夢を見ていないだろう。二人を繋いでいたものがなくなってしまったことは、寂しくもあった。けれどあの日電話番号を渡したおかげで、気持ちが沈むことはない。それに今は、テレビを通して竜崎と会える。スポットライトを浴びる自分の姿を、彼が見てくれていれば、それでいい。
 両親への恩返しは果たすことが出来た。竜崎への恩返しも、いつか、きっと果たせると信じている。
 ナナは頭の片隅で竜崎を想いながら、今日も歌を歌うのだった。

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